「喉声」とか「喉で歌っている」という表現があります。両方とも良くない声とされるものですが、この言葉が正しくないことはすぐに分かります。喉が声帯を表しているとしたら、声帯以外で作られる声は無いので、全く意味の無い表現です。文字通り受け取って喉では無い声を作ろうとしても出来るわけがありません。無視してしまっても良いのですが、少し考えてみます。
このように表現されるときの声には2つの共通した問題を指摘しているように思えます。1声帯の伸展が弱い声、2力が入りすぎている声。これ以外の要因で喉声などと言われることは無いようです。2に関しては話が長くなりますので、また別の機会に書こうと思います。ただ1に関してクリアできれば、絶対に喉声と言われることはありませんので、これに集中します。喉声の特徴は音程が下がりやすく、伸びのない響きであり、濁った声です。すべてが十分に声帯が引き伸ばされずに、声帯の振動が歪(いびつ)になったときに起こる現象です。声帯が十分に引き伸ばされていればどんなに力を入れてもこのような振動にはなりません。
ピアノをどんなに強く弾いても喉声に相当するような濁った音にはなりません。これは力強く弦を引っ張っているためです。この力が弱いと強く鍵盤を叩いてしまうと濁った音になります。fが出ない楽器になってしまいます。発声で喉を開けることをしつこく要求されるのはこのことに因ります。大編成のオーケストラが全員でフォルテを出し、さらに大勢の合唱が全力で歌っているときに、ソリストの声がそれを抜けて聞こえるためには相当に強く声帯が閉じられる必要がありますが、それでもきれいに聞こえるのはそれ以上に声帯が十分に引き伸ばされているからです。喉声と言われたときに、声帯の閉鎖を弱くすると解消されますが、正しい解決策は別のところにあります。
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