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共鳴について科学的に考える~発声のしくみ69

「共鳴」の定義

 共鳴に関して他の記事でも書いていますが、今回はもう少し違う視点で書いてみます。最初に少しややこしい話をします。発声には関係のない事なので、この部分を飛ばして次の章から読んでもらっても良いのですが、物事を考えるときに重要なことでもありますので、読んでいただければとも思います。「共鳴」のように、誰もがはっきりと共通認識をもてないようなものに関しては、まず言葉の定義が必要になります。物理学的に共鳴はどのように定義されているのか少し調べたのですが、ネットで調べただけですが、明確な定義は分かりませんでした。主に2つの現象について共鳴という言葉を使ってありました。一つは同じ大きさの音叉を2つ用意して一つを叩いて音を出すと、叩いていないもう一つの音叉からも音が出る現象。もう一つは音が生まれると空気の振動と共に空気中を伝わっていき壁にぶつかると反射します。その反射した音の波と元々の音の波が重なることにより増幅される現象。最初の例だともう一つの声帯、もしくはそれの代わりになる振動体が必要になりますので、今回は無視します。次の例だと同じ周波数で波の干渉が起こる事にのみ触れていますが、反射が繰り返されることが声の響きにつながることもあるようにも思えますので、良い声を作ることに関しては少し足りない気もします。ですので、科学的に考えると題を付けましたが、声帯で作られた声が増幅されたり、響きが増えたりする現象をまとめて共鳴という言葉で書いていきます。本来の言葉の定義と違うかもしれませんが、ご容赦ください。

ホールの響きについて

 音楽ホールのような良く響く空間をまずは考えてみます。この正反対の場所は何もない広い空間、単純に建物などが近くにない外で歌うことになります。(無音室という空間があって、そこは壁はあるもののすべての音を吸収し反射が全く起こらない場所です。外で歌うと書きましたが、地面はあるし、完全に響きのない場所は無音室になります)良く響くホールに必要なものは固い壁です。音が発せられると秒速340mで進みます。とても速いですので、音はすぐに壁にぶつかり反射します。またその音も次の壁にぶつかり反射を繰り返しますので、完全に音がなくなるまではホールに響き続けることになります。音響の良いホールでは残響時間は2秒くらいに設計されます。もちろんもっと固い壁で反射してもなかなか音が減退しないような建物ではさらに残響時間は長くなります。石造りの教会などでは残響はとても長いので、速い曲などでは音の粒が聞き取れないほどになります。

声の共鳴

 ここで発声を考えます。共鳴に関して声楽家が出来ることは何かということを考えてみます。ホールと同じように固い壁が必要になります。これは骨です。骨がしっかりしていて、そこに付いている筋肉等の組織が薄いところほど音の反射が多くなります。鼻腔共鳴が取り上げられるのはこの条件に合っているからです。口の中も空間を作れますが、上顎での反射はあっても舌は多分に吸音してしまうので、あまり役には立たないということになります。これは好都合でもあり、母音の種類により、口の中の形は頻繁に変えられますが、共鳴に関してはあまり影響を受けないので、ある母音はよく響いたり、別の母音は響かなかったりということがなくなります。こう考えると硬い骨で囲まれた空間でメインの共鳴は行われるし、さらに堅くするなども出来ないので、声楽家は共鳴に関して出来ることはほとんどないと考えた方が良いように思います。気管自体は多少堅い素材で出来ているのではないかと思いますが、良くは分かりません。ごめんなさい。おそらく音の反射は起こっていると思います。ただ同じようにさらに堅くなどは出来ませんので、やはり同じようにコントロールは出来ないと考えた方が良いかと思います。

ホールで良い響きをつくること

 またホールの話に戻ります。ホールでもっと響く声にしたい場合は壁の素材をもっと堅いものに変えれば良いわけですが、当然そんなことは出来ません。もしそれが出来たとしても、音はより大きくなり、残響時間は長くなりますが、良い音とは言えません。ホールで歌うときに声楽家が出来ることはより美しい声を出すことだけです。汚い声はホールで響かないかというとそんなことはありません。汚い声であっても声は壁にぶつかって反射を繰り返しますので、汚い声が増幅して聞こえてきます。つまり声楽家が出来ることは美しい声を出すことだけだということになります。当然の結論ですが、大切なことです。

良い響きの声

 これをまた発声に変えて考えると、きれいな声帯の振動を作ることのみが共鳴を最大限に生かせる方法になります。声帯が必要十分に伸展されていて、ほど良くムラなく閉鎖があり、決して多すぎない息の安定した流れで声帯の振動を作れれば、理想的な共鳴は自然に作られるということになります。共鳴腔を広げようと考えすぎない方が良いと他のところでも書いていますが、広げようとする感覚が声帯の閉鎖を弱くして、これにより閉鎖の反動として起こる声帯の伸展も不十分になり、声門の隙間が多すぎるために多くの息を流さざるを得なくなることがあります。共鳴腔を広げようとして、結果音がざらついてきたり、息っぽくなったり、音程が定まりにくくなったり等の現象があれば、空間を広げることを忘れた方が良いです。

おまけ。言葉の定義について

 余談になりますが、独裁主義と民主主義という言葉がありますが、割と定義しやすいと思います。独裁なんて怖い、民主主義の方が良いとほとんどの人が考えると思いますが、そうでもないところがあります。民主主義の欠点としては民意が一つになるときは良いかもしれませんが、対立するときは多数決で決める事にあります。少数の意見は無視されることになってしまいます。そして独裁主義はとても悲惨になることが多いのですが、もし本当にすばらしい政治家がいたとして、独裁的ではあっても一番良い方法で政治が進められれば理想的ではあります。ただ実現しそうな予感はあまりしません。それぞれに良いところ悪いところがありますので、日本をはじめほとんどの国では民主主義的なところに独裁主義的な部分を少し混ぜながら政治は進められています。

 これに対して、資本主義と社会主義、もしくは共産主義という言葉は定義することがとても困難です。これらに関しては調べて見ても明確な定義はなかなか見つかりません。とりあえず経済のシステムであることは明確なようです。素人目に見て定義づけをしてみると、完全な自由経済が究極の資本主義、現代でこれを行うとどうしてもほんの少しの勝者と大多数の敗者に分かれてしまいます。こうなると社会は不安定になりますし、第一とても不幸になります。そこで、例えば累進課税のようなものを導入して、収入の多い人からは税金をたくさん徴収する、逆に収入の少ない人からは少ししか徴収しない、さらに仕事がない人には支給するといったコントロールをすることが社会主義的なもの。そしてその究極の形が、全員の給料を最初から同じにしようとすることになりますが、これが共産主義になります。しかし当然こうなると働く意欲が減少して、国全体が貧しくなってしまいます。このような定義が考えられますが、確信はありませんし、今のところ正確な定義をしたものを見つけることが出来ません。本来ならばこれらの定義を決めて、議論した方が効率的に物事は進むはずですが、曖昧にしたままの方が、政治家ではなく政治屋(お金儲けのために政治を利用する人)にとっては好都合なのかもしれません。