発声に関して「フースラーの発声法」が使われることがよくあります。「うたうことSingen」というタイトルの本が出ていて、誰でもフースラーの考え方に触れることができます。それ以外は現在ではフースラーの弟子の弟子の弟子が活躍しているようなところです。私もその一人です。しかし、これだけ世代が移っていくと、元々の練習法がどのくらいそのまま受け継がれているかは疑わしくなっていきますし、もしくは最初がどうであったかはそれほど大切ではないのかもしれません。
フースラーの発声法という特別なものがあるということではありません。感覚的なものが多かった発声の世界に科学的な分析がなされたものです。しっかりとフースラーの勉強が出来た人はあらゆる声の状態を説明することが出来るでしょう。
しかし、 フースラー の本は今でも読むことができます。そこでこの本の話をしていきます。この本には具体的な発声法は全く出てきません。発声に関する理論書です。とても画期的な点は、解剖学に基づき、発声の仕組みをひもといていこうという姿勢にあります。その点おいては未だに色あせない、とてもしっかりとした研究がなされています。 1965年に書かれた本 にもかかわらず、特に声帯付近の筋肉についてはとても細かく書かれており、すべての声の現象はこれらの筋肉の運動で説明ができます。
私の例では、まずフースラー先生の直接のお弟子さんであるリンデンバウム先生に森先生が指導を受け、その後森先生から直接発声法を習いました。リンデンバウム先生のレッスンは森先生のお話から少し想像できましたが、それ以前は全く分かりません。どの段階でどのような改良がなされていったかも分かりませんので、フースラーの発声法というのは正確には分かりません。現状はこのようなものです。余談ですが、ベルカントはさらに古い発声法であり、またある時代の発声を指すもので、特定のメソードを指すものでもありませんので、なおのこと原型は分かりません。
またフースラーの本の話に戻ります。何度も書きますが、具体的な発声法はどこにもなく、解剖学を中心にした理論書ですので、なかなか難しいです。ドイツ語でアンザッツ(あたり)の項目がやや読みやすいのでこの部分だけクローズアップされることもよくあるようです。これに関してはまた別に詳しく書こうと思っていますが、本では、ある部分に「あたり」を置いたときに声帯はどのように反応する、そしてその結果こういう良さがあり、しかしこういう欠点があるといった書き方がされています。例えば声を上の歯の前に持ってくると(声を奥に引っ込めずに前に出すという時のあたりの位置)、これにより声門閉鎖ができる。これは発声にとっては最も重要な状態で、ここに問題があると、発声は絶対にうまくいきません。しかし、これに頼りすぎると平たくつやのない「白い声」になってしまう。等々といった感じです。つまりすべてのあたりの位置は発声のバランスを偏らせた不自然な状態ともいえるわけです。どこが良くどこが悪いといった話ではなく、すべてに長所と短所があるのです。そこで指導者はそのすべてを知り、生徒の発声のゆがみを修整することにだけにあたりの位置を利用し、さらにその弊害が出てきたときにはすぐにほかの方向へ導く必要があります。あたりは素晴らしいものだということではなく、崩れたバランスを修正する道具として利用できても、固執しすぎると新たなバランスのゆがみを作るものなのです。
フースラーのアンザッツ(あたり)の発声での実践~発声のしくみ59
フースラーの本は誰でも手に取れる、未だに色あせない理論書ではありますが、その読みにくさから、一部のみを間違った方向で利用されることがよくあります。しっかり読んで、いろいろな声の状態を声帯の状態として捉えられたときに初めて意味のあるものになっていきます。興味のある方は是非時間をかけてしっかり読んでみてください。何か質問があれば分かる範囲でお答えしますので、ご遠慮なくお問い合わせください。
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