「からたちの花」は6番まである変奏有節歌曲の形をしています。通常の有節歌曲はすべて同じメロディーになりますので、1番のメロディーを覚えればあとは歌詞だけ見て歌っていけますが、それぞれで結構変奏されていますので、有節でありながら複雑な形をしています。
また歌曲に特有の伴奏の形がありません。例えば和音を四分音符とか八分音符で刻んだり、分散和音を弾いていたりなどがなく、語りに近い形になっています。
まとめると、わかりやすそうな顔をしているのに、次にどう進むのか予想が難しい曲になっています。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。
からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
各節が2行の短い詩で、すべて「からたち」から始まります。何も書いていないのにこれは大人になった彼が(詩は北原白秋ですので彼とします)子供の頃を思い出して書いていると想像できます。
1.冒頭の「からたちの花が咲いたよ」はからたちの花を見つけた子供がお母さんに知らせるような口調です。からたちの花は確かに白いですが、からたちの白い花が咲いたという情報だけでは詩にはなりません。大人である主人公が一瞬のうちに子供になり、家族と会話を始めるから詩になるのだと思います。
2.実際にからたちを見たら「とげ」の鋭さがとても印象に残ると思います。おそらくうっかり触れてしまって怪我をした記憶があるのでしょう。人を寄せ付けないような危なさもあります。
3.しかし、彼にとってからたちの垣根は避けるべきところではなく、身近ないつもそばにある存在だったようです。
4.人にとって「生と死」の問題は常につきまとっています。子供にとっても同じで、何かにつけてこのことを考えます。この詩では「死」については書かれていませんが、「生」の象徴である黄色い大きな実が描かれています。
5.子供はすぐ泣きます。とても不幸なことがあったというのではなく、ほんの少し友だちとけんかしたり、先生に怒られたり、転んで怪我したり、とにかくすぐに泣きますので、ここでは彼にとって不幸なことがあったというわけではありません。それよりも泣いてしまうようなことがあったときに、例えばお母さんが抱きしめてくれたり等が重要なのだと思います。そしてこの抱きしめてくれるような記憶のそばにいつも「からたち」があったのだと思います。

1番。Andante(歩くような速さで)とあります。これは「歩く(andare)」からきていますが、人の歩く速さなんで色々だしわかりにくいところもあります。言葉そのものよりもどのように音楽では使われているかが大事になります。基本的にはやや遅いテンポです。ただ立ち止まるようなものでは無く、少し進んでいくような速さになります。一番心地良いテンポです。tranquillamennteもppもsempre sotto voceも「静かに」ということです。ピアノのパートにあるdelicatissimoはとてもデリケート(繊細)にですので、とにかく小さく歌うということが目立ちます。
音もシンプルで最初のDの音を除くとHの音を中心として上下3度で揺れているだけです。リズムもほぼ八分音符で進んでいきます。和声もシンプルで、最初に主和音「はな」のところで属七「さ」のところで五度五度といわれる属和音の五度の和音が一瞬使われ、「いた」で属七、最後の「よ」で主和音に戻るといったとてもシンプルの和声で出来ています。
さてこのような情報をもとに演奏を考えていきます。とにかく「静かに」が目立っていますが、山田耕筰の真意を考えていきます。この部分は最初の瞬間から子供の頃に感覚が切り替わる必要があります。昔を思い出すときに、今耳に入ってくる現実の音はすべて消えてしまうのではないでしょうか。となると散々書いてある静かには声がとても小さいというわけでは無く、静かな空間が出来れば良いのでは無いかと思います。この冒頭を聞こえるかどうか位の小さな声で歌い出す人はいないと思いますが、これは作曲家を無視しているのでは無く、現実の音を感じさせない静かな空間を感じさせられれば十分に作曲家の意図をくみ取った音になると思います。
ちなみに単音のピアノの四分音符から始まることが多いですが、時間を遡る幕がそのたびに開いていくような音だと思います。とても小さく弾く必要は無いし、必要があれば少し長くても良いと思います。

2番。最初とほぼ同じです。「いたい」のところで音型が変わりますが、言葉のイントネーションと合っています。最初はpp「いたい」のところはpになっています。ほんの少し強くなるとも考えられるし、しかしその前にクレッシェンドがあるので、「いたい」の時に小さくするということも考えられます。迷うところかもしれませんが、「いたい」を強めに歌ってほしいのであればpは書きません。当然小さく歌ってほしいということです。つまり痛かったという思い出よりもそれも含めてやさしい思い出なのだと想像できます。
ここでもピアノの四分音符単音のDから始まりますが、さらに思い出の幕が開き思い出は深くなっていきます。

3番。ピアノの始まりが単音の四分音符から長2度でぶつかる2分音符に変わりました。この音の強さを書いていないので少し前から楽譜を載せています。この長2度は属七の根音と第7音です。少し緊張が増しppがpに変わりました。さらにメロディーもDからHだったのがDの1オクターブに上がり、in fretta un poco(少し急いで)明らかに色々な要素が生き生きとした音楽の方に変化を示しています。
実際の演奏ではfrettaのある1小節だけ速くしてすぐに戻すととても不自然な感じにもなります。生き生きとした感じが重要なのであって、テンポがどうなるかはそれほど重要では無いのかもしれません。

4番。一番不可解なところかもしれません。初めてのmfでのスタートです。f系に変わるということはとても大きな変化です。ただし、音符はDから今までで一番低いAまでしか上がりません。今までよりも強い節にしたければより高い音の方が絶対に効果的です。和声にも注目します。今まではメロディーの最初の小節はずっと主和音だったのが、今回は変わります。さらに属七だと考えられますが、一番大切なFisの音がかけています。「あき」の歌詞の部分でやっとFisが出てきて属七決定になります。属七は主和音に向かうエネルギーの強い和音ですが、その中でGdurでは導音であるFisが主音のGにいくことが一番大事なのですが、これが最初は欠けてしまっているということです。
さてでは演奏です。今までpかppでしたので、通常であれば明らかに今までとは違った声の大きさが必要になるはずです。これを書くにあたって、YouTubeでいくつかの演奏を聴いてみたのですが、この節を明らかに大きく歌っている演奏は一つもありませんでした。それどころか第3節に比べると少し小さく歌っている方が多かったように思います。ということは作曲家がミスをしてということになりますが、作曲家はこういうミスはしません。3番よりも低い音になるので、大きくなる方に間違えて強弱記号を付けるようなミスは有り得ません。もう一つ考えられることとして、次の5番がとても小さな音で歌うように指示されています。そうするとそれとの対比で一旦大きく歌った方が良いかもしれないということも考えられますが、これも面白くない。次のpppは静かに聞こえるかもしれませんが、今の瞬間の音楽が死んでしまいます。
人が思い出をたどろうとするのはどんなときでしょうか?色々考えられますが、忙しくしているときでも、とても楽しく生活しているときでも無いでしょう。何かしら立ち止まる理由のあるときだと思います。悲しいことや苦しいことがあったのかもしれない。疲れてしまったのかもしれない。どうしようも無い壁にぶつかったのかもしれない。とにかく何かのきっかけが必要になります。そしてこの4番ではいのちの誕生が歌われます。いのちの誕生は子供であっても、大人であってもとても神秘に満ちてさらに希望に満ちていることだと思います。生きる希望と共に壮大な神秘のドラマを感じているのだとしたら、mfになる理由が分かります。しかし、本当に音量を大きくする必要はありません。

5番。一番繊細になる部分です。今までに無かったpppが使われています。さらにsotto voceも加えられています。最高音のGもpppで演奏しなければならず、とても難しくなっています。この節のpppは誰もが納得するところだと思います。ただし先ほども書きましたが、何か悲しいことやつらいことがあったということではなく、涙するようなときにそばにいてくれた人がいたことと、その時近くに「からたち」があったことがポイントとなります。もしかすると今の彼もそのような人がいたらと思う場面なのかもしれません。
演奏としてはこの繊細なGの音がとても難しくなります。Gくらいであれば色々な音量で、色々な音色で歌いたいところではありますが、とても難しい事です。バリトンやメゾの人は好きな長に下げて歌えば良いのですが、ソプラノやテノールは原調のままでなければならないと思うかもしれません。しかし、無理をして苦しいGを出すよりもFdurに変えて音色を作れるようにすることがあっても良いのでは無いかと思います。
2拍子の部分「ないた」の音程が不安定になることも多いようです。不安であればドレミで歌ってみることをおすすめします。そしてもし可能であれば移動ドで、5番の最初からだと「ソレレドレラソレドレファドソ」となりますが、キレイに音が取れない人は試してみてください。ここまで音楽が深くなるとさらに次につながるものはなくなります。あとは最初に戻って終わりを迎えます。

6番。最初と同じ詩で、同じメロディーですので、曲の終わりを予感させます。ただし、今までピアノの四分音符、もしくは二分音符でそれぞれのシーンの幕開けのような音があったのですが、最後は分散和音が演奏されるだけです。つまりやさしい思い出の世界はもう完成して、新しい世界への幕開けは必要なくなったということだと思われます。
最後に付け足しを一つ。

1番の白い白いの部分の楽譜です。詩は少ない言葉で表現することがとても大切です。ですので、省略できるものはできるだけ削っていくことが必要になります。にもかかわらず、言葉を繰り返すのは本来ならばとても無駄なことになります。ただあえてそうすることもあります。内容は進んでもいかないし、深くなるわけでもないのですが、2つの効果が考えられます。1つは強調で、もう1つは心の中により深く刻むことです。1つめの場合は演奏は2回目をより強く演奏することになり、2つめの場合はエコーのように2回目を小さくし、より深く心に刻むような演奏をします。そしてこの曲の場合は強調です。理由は音が高くなっているからです。
さて山田耕筰の楽譜はどうかというと、最初はメゾスタッカート、2回目はレガートです。メゾスタッカートはテヌートとスタッカートの合成で音を長く、そして短く演奏してくださいといっているようなもので、わかりにくい記号です。ただし時々使われる記号でもあります。この記号は基本スタッカートです。つまり前の音と次の音の間に隙間を作ります。ただしスタッカートだと隙間は出来ますが、音そのものも短くなってしまいます。そこでこの記号が出てきます、音それぞれにある程度の長さを残したまま、次の音との間に少し隙間を作る演奏になります。音の長さを残しながら隙間を空けるので場合によっては少し遅くなることもあります。
このようにアーティキュレーションが違うということは強調やエコーではなく、違う表情の演奏ということになりますが、違う表情の根拠がどこにもないので、例えば1回目は色としての白、2回目は純粋な白となれば表情の違いは出せるでしょうが、もしそうであれば言葉を変えた方が良いところです。
少なくとも今のところ私にはこの繰り返しで表情を変える必然性は見つかりませんので、単純に強調だと思った方が良いように思えます。
楽譜は大切で、よく見て演奏しなさいと言われますが、それはそれは楽譜に書いてある記号通りに演奏することではなく、楽譜の意図を読み取る作業だと思います。その結果ppを少し大きめの音で演奏したり、逆にmfを小さめの音で演奏することも有り得るのだと思いますし、それは作曲家を無視しているのではなく、逆に作曲家の意図を考えた結果です。もちろんその後新しい発見があれば演奏は変わっていきますが、それでいいのだと思います。これとは別にpだけれども大きく歌いたいから大きく歌うとか、好きな歌手が大きな声で歌っていたから大きく歌うというのは違うように思います。
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