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マタイ受難曲「最後の晩餐」~声楽曲 3

数と音楽

 Bachのマタイ受難曲の最後の晩餐のシーンで、イエスが、あなたたちの中の一人が私を密告するだろうと予言するのに対して、弟子達が「主よ、それは私で すか」と質問するシーンがあります。ここでは主よ(Herr)という言葉が11回、つまり12人の弟子の内、裏切り者のユダをのぞいた11人が質問するた めに11回出てきますが、この事実を知ると11回の(Herr)を数えてしまうこともあると思います。(もちろんCD等を聴きながら数えてみるのも面白い体験だと思います)しかし少なくともその時は、この曲で頻繁に聴かれる不安な和音の響きや、たたみかけて質問されるある種の興奮状態を聞き逃してしまう事 もあるでしょう。また、この音楽ではとても謙虚とも思える弟子達のこの問いが、イエスからあなたではないという言葉をかけられ今の不安な状態を早く回避し たいと思っているとしたら、この合唱曲の異様な感じは理解できるし、その直後の「私です。私が償うべきなのです」という穏やかな音楽が続いてくることの必然性が感じられるところだと思います。ついでに、このちょっとした部分に現れる人間の弱さが、後のペテロの否認につながり、結局イエスが十字架に磔(はりつけ)にされなければいけなかった原因になっていくのだとも思います。

本質は数にはない

 (Herr)を毎回数えながら聴くことの不自然さは当然のことでしょうが、その後で書きました、人間の弱さを表現している のだということも実際に音楽を聴くときにはあまり考えるべき事ではないのかもしれません。言葉を通して理解することにより、音が耳に届かなくなってきま す。
 しかし逆のことも考えられます。人間の弱さとイエスが十字架にかけられることのつながりをヒントにして、この長大な音楽を共感を持って体験できるきっかけになるかもしれません。

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