調性の性格について、調性には性格がある?、調性には性格がある2と調性の性格について書きましたが、もう少し考えてみます。声楽の場合、移調して歌うことが頻繁にあります。調性格論が確かだとすると、移調したら曲のイメージが変わってしまうことになりますが、もちろんそんなことはありません。Gdurの曲を長2度下げてFdurで歌ったとしても、全く同じ曲です。
こうなると調性格論は無意味に見えますが、そうでもありません。作曲家がGdurで作曲するときにGdurの雰囲気で作曲をします。ですのでそれを違う調に移調してもGdurの雰囲気のままなのです。例えば一番シンプルなハ長調と♯が5個つくロ長調を比較します。音の高さとしては半音(短2度)の差しかありません。作曲家が練習曲のそれも初心者用の曲を書くとします。この2つの調でしたら、間違いなくハ長調を選択します。また別の曲で深い内容の曲をハ長調かロ長調で書くとすると、ロ長調で書く方が多くなるでしょう。ハ長調で書いてしまうとどうしても練習曲のようなイメージになりそうなので。
そしてこのようにできあがった作品を移調して歌っても、内容が変わるわけではありません。結局音の絶対的な高さから調の性格が出来るのでは無く、作曲家が調の選択をするときに性格が出てきてしまうのです。
ハ長調のシンプルさよりも明るいながらも少し落ち着いた雰囲気の曲にするために、♭1つついたヘ長調で作曲をしたとします。途中で主音は変えずに短調にすると♭が3つプラスされ、♭4つのヘ短調が出来ます。やさしい感じの曲が短調になったものです。この同じ♭4つのままで長調になると変イ長調(Asdur)になります。このような中で、ヘ長調や変イ長調の性格がなんとなく出てきてしまいます。変イ長調は夜の調性と言われたりもします。穏やかな曲にぴったりです。
調性格論の本はすでに作曲家は早くから感じていたものを、たまたまマッテゾンやシューバルトが本にしただけで、特別なものでも、ここから始まったものでもありません。モーツァルトのDas Veilchen(スミレ)は寓話の持つ明るさと、恋に破れて傷つく男の子の悲しさとの両面がありますが、モーツァルトはとても明るい元気な調である、♯1つのト長調を選んでいます。男の子の悲しさを前面に出したければ違う調を選択も出来たはずです。しかし、あっけらかんとしたト長調を選ぶことによって、傷つけた側の女の子に何の悪意も無かったことがわかり、そのことがよっぽど男の子(男の子自身よりもこの話を聞いた私たちの方がより深く)の痛みを感じさせる曲になっています。これを長2度下げてヘ長調で歌ったとしても、音楽の性質は変わりません。無理して原調で歌うことも必要ありませんので、いくらでも移調して歌いやすい調で歌うことをおすすめします。原調が一番作曲家の意思を表現できるということではありません。
カテゴリー一覧