本番中の耳~音楽について 38

 ステージ上でお客さんに向かって何か話をしているとします。お客さんは話者の方を見て話を普通に聞いています。その時にステージの袖からそれほど大きくもないが気になる音が聞こえてきたとします。それでも話者がそのまま話し続けていれば何事もないようにお客さんも話しに集中していきますが、話者が中断して袖を見たとしたら、お客さんの関心は中断した話者よりも袖の音に向かいます。

 どこにでもあるような講演会の1シーンですが、本番で歌っている時にも同じようなことがあるように思います。例えばピアノ伴奏の歌のコンサートの時、前奏であってもお客さんの視線は通常伴奏者よりも歌手に向きます。しかし、歌手が伴奏の音に集中して聴いていると、お客さんの視線も伴奏者に集中し、ピアノの音に集中します。そればかりではなく、歌っている最中でも伴奏をよく聴けている歌い手の演奏の時には、お客さんにも伴奏の音が良く聞こえるようになるように思います。歌い手が自分のそばで響いている音を聴こうとしていると、お客さんも歌手の口から出たそのままの音を聴こうとするし、そうではなく、歌い手が遠くにある響きを聞こうとしていると、お客さんにもそのように音が聞こえていくような気がします。必ずというわけではありませんが、良く聞こうとしてくれるお客さんにはそのように聞こえやすいように思います。

 例えば「うさぎ追いしかの山」のふるさとを歌うとします。詩をしっかり感じられていると自然と昔を思い出すような歌になっていきます。おそらく少し遠くを見るような感じ、そして通常よりやや遠くの音を聴こうとするでしょう。そうするとお客さんも遠くの音を感じ、そのことが過去を感じさせていきます。これだけでも歌が上手かどうか関係なく、何かが伝わる演奏になっていきます。感動の根っこにはこのようなことがあるように思います。「思い出は常にやさしい」は誰の言葉でしたっけ。目の前の現実にぐるぐる目を回している時に、ふとよぎるふるさとの風景に救われることも良くあります。そして過去と現実がつながった視線で今を見た時に、新しい未来を見ることも有るのではないでしょうか。思い出はそれだけで涙を誘ってきます。

 本番での耳の向け方を書きましたが、いつもの練習でも耳の向け方を変えることによって、新しい発想が浮かんでくるものです。音程やリズムの練習をする時には音の芯をしっかりと捉え、自分の音に集中する方が良いでしょう。音楽に広がりがほしい時や、力が入りすぎる時には音の芯ではなく響きを聞いた方が良く、音楽をもっと感じたい時は伴奏や和音に耳を集中させるのも良いかもしれません。

声楽、発声のレッスンはこちら