小澤征爾さんのTVインタビューで齋藤秀雄先生から音楽の文法のようなものを学んだ。といったお話をされていたのを覚えています。音楽の文法という言葉は珍しいですが、ある程度音楽に携わってきている人たちには何を意味するのかはすぐ分かると思います。文法といっても、特別に習得しなければ分からない特殊なものではなく、表情のある演奏をしようとしたら当然そうなるといった、とても感覚的なものです。もちろん音楽の文法書が出ていることもありません。楽典とも違います。
簡単なところでは、各小節の1拍目にはアクセントがあり、2拍目にはないとか、主音は穏やかな響きで導音は緊張感があるとか、低い音より高い音が強くなるなどの誰もが分かっていそうなものから、アクセントは楽典では「その音を特に強く演奏する」と定義しますが、ほかの音よりも印象に残ることが大切なので、強くせず少し遅く演奏するとか、場合によっては少し弱く演奏することすらあり得るといったことも音楽の文法の一つです。
クレッシェンドがあると通常だんだん音を強く演奏していきますが、クレッシェンドの始まりは少し音を小さくすることがあります。クレッシェンドが強調されるためには大きな音からクレッシェンドするより、小さい音からの方が効果的だからです。これも音楽の文法の一つです。クレッシェンドの始まりの音量を1、ピークを10、その後デクレッシェンドしてまた1に戻るとします。音量は最初1で最後も1ですが、この2つの1の音は違います。最初の音はこれからクレッシェンドが始まる緊張感がまだ小さい音ですが必要です。逆にデクレッシェンドして音楽が終わりに向かうようであれば最後の1はとても穏やかでなくてはなりません。同じくらいの音量でも明らかに違う音です。これも音楽の文法です。
例えば音楽がだんだんと緊張に向かうとします。音がだんだん高くなり、細かい音が増えていきます。通常演奏法としてはクレッシェンドが考えられます。しかし緊張に向かう方法はクレッシェンドだけではなく、少しアチェレランドを加えたり、音の跳躍や細かなリズムを強調することもあり得ます。音質の緊張感を増していくことなどもあります。
レッスンでもっとクレッシェンドをするように言われたとします。もちろん通常音量ですが、音量の変化には限界がありますし、長いクレッシェンドを音量の変化だけで表現しようとしてもあまり効果は出ません。そこでテンポや強弱の揺れを作ったり、いくつかのクレッシェンドのきっかけになる音を少し強調してみたり、いろいろな方法を使ってクレッシェンドを表現します。うまくいけばこれでこの部分のレッスンは終了で、熟練した生徒さんのレッスンはこのようなものです。 しかし、この音楽の文法が分かっていなかったり乏しかったりすると、レッスンでは時間をかける必要があり、最初は強すぎない音量で、しかし緊張感を持つ。ほんの少しの音量変化で少しずつ緊張感を増し、跳躍や特徴のあるリズムでさらにぐっとクレッシェンドをしたり、そのあたりからアチェレランドをかけるなど細かいレッスンが必要になります。生徒さんとしてはやることがたくさん出てきて混乱するでしょうし、とても難しいことになってきます。音楽の勉強はテクニックの勉強だけではなく、この音楽の文法を身につけることもとても大切です。
日本人の特徴だと思うのですが、正しく音取りが出来ているのに、ほとんど表情のない演奏をする生徒さんがたくさんいらっしゃいます。表情は先生の指示を待つものだといったところだと思うのですが、自分で表現しようとしないと音楽の文法が身についていきません。何が有効なのかをいろいろと試していくことが音楽の文法を身につける唯一の最短の方法だと思います。
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