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好きな演奏家、嫌いな演奏家~音楽について49

好きな演奏家

 いろいろな演奏家の歌を知るようになってくると、好きな歌手嫌いな歌手が出てくるものです。これは音楽の世界に深く入っていく第一歩のような気がします。私もその時々に好きな演奏家がいて、少ないお小遣いで中古のレコード店に行き、長時間悩んで、1枚ずつレコードを買っていました。最初にはっきりとファンになったのはピアニストのホロヴィッツでした。それまでショパンのピアノ曲はなんとなく毛嫌いしていたのですが、ホロヴィッツを聴いてから大好きになり、ホロヴィッツでショパンの曲が入っているレコードを見つけるとウキウキと買って帰っていました。そうしているうちにそれらのレコードに入っているショパン以外も聴くようになり、ベートーヴェンやモーツァルトだけで無く、ラフマニノフやスクリャービン、D.スカルラッティなども聴くようになり、ホロヴィッツスタートでたくさんの曲を聴くようになりました。

 本をよく読む人も同じようなきっかけがあった人も多いと思います。まず好きな作家一人が見つかり、その人の作品を読みあさっていくうちに、それに近い作品に広がっていき、だんだんとたくさんの本を読むようになるというように。ですので、好きな演奏家を一人見つけるのは、音楽の世界により深く踏み入れる大きなきっかけになると思います。では嫌いな演奏家はどうでしょう。好きがあれば嫌いがあります。好きな演奏家が出来ると、その演奏とかけ離れた演奏をする演奏家は嫌いだと感じることもあります。しかし、嫌いな演奏は本当に良くないのかもしれませんが、その演奏家の良さが見つかっていないことも考えられます。嫌いな演奏家は出てきてしまいますが、そこから得られるものは残念ながら少ないでしょう。

 好きな演奏家が良い影響をもたらしてくれる話を書きましたが、逆の話もしてみます。

好き嫌いの弊害

 私自身今はどうかというと、あまり好きな演奏家、嫌いな演奏家と考えることはありません。仕事柄そう考えないことが必要だということもあります。というのは特に声楽家の場合好みは声質に大きく影響します。細い繊細な声が好きな人は厚みのある声はあまり好きではなかったり、明るい声が好きな人は深みのある声は好みではなかったりしやすくなります。そうするとレッスンで生徒さんにとって一番合っている声ではなく、私の好きな声に誘導することもあり得るからです。極端な例では、生徒さんがほぼ全員ソプラノかテノールになってしまったり、逆にアルトかバリトンになってしまうことがあります。たまたまその声の生徒さんが集まってしまうこともありますが、そのように誘導してしまったら、それに向かない生徒さんは絶対にある程度以上の上達はありません。

 生徒さんの立場で考えた時に、前に書いたように好きな演奏家から広がる世界がありますので、良いことの方が多いのですが、そうではない例です。好きな演奏と自分の声が近ければそれほど問題は無いのですが、隔たりが大きいと自然な発声が出来なくなります。極端な1例です。発声のレッスンでは音域を広げたり、音量も増やせるように、喉をしっかり広げ、支えを強くしていくことは不可欠ですが、レッスンでそれらが拡大してもすぐに戻ってしまう生徒さんがいらっしゃいました。実はその方は子供の歌が好きで、子供のような声にすぐに戻ってしまっていたのです。子供の歌の良さはもちろんありますが、大人が子供のような声を出そうとするのは無理があります。

 あばたもえくぼといいますが、好きな歌手の歌は悪いところや変な癖も含めて好きになり、それをまねしてしまうのも良くない例です。悪くない歌い回しだとしても、まねをしたものと、その歌い回しの本質を知って使っていくのとは違います。好きなために盲目になり、その演奏家の本当の良さに気づかないという変なことが起こってきます。

 好きな演奏家が出来ることにより、音楽の世界が広がるケースと逆にそれだけに固執することにより音楽の世界が狭くなってしまう話でした。

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