何が正しい発声なのか確信を持つことはとても難しいことです。色々な意見を耳にしたり、読んだりする中で、試してみても上手くいったりいかなかったりの繰り返し、さらには良いと思ったものを繰り返しているのに逆におかしくなっていったりもして、迷うことばかりになってしまいます。しかし、なんとなく感覚的に捉えている発声法を具体的に何が起こっているのか解明できれば、どの練習が今の自分に必要なのか、その練習を通してどのように変化していくのか、上手くいかなかったら次にどういう練習に切り替えたら良いかなどがはっきり分かるようになっていきます。ヴォイストレーナーはこれを正しく提示する仕事をしています。
今必要な練習にたどり着けると、それを繰り返すことにより、どんどんと良い方向に変わっていきますが、そのうちにその練習をやり過ぎてバランスが崩れてきます。そうすると今までとても良かった練習なのに、上手くいかなくなります。バンスの問題なのですが、よくある失敗です。
ここでは発声でよく聞く情報に関して、その練習を通して本当は体の中で何が起こっているのか、どうなるためにやっているのかを解明していきたいと思っています。今までもなんとなく良さそうだからこの練習が必要だといったことを書いたことはありませんが、ここではさらにしっかりとその根拠を書いていこうと思っています。根拠よりも有効な練習方法だけ知りたいと思うかもしれませんが、もしそのようなものがあり得るのだとしたら、長い歌の歴史の中でまだ完成されていないわけがありません。誰もがそのメソードを最初から丁寧に実践するだけで、迷うことなく素晴らしい歌が歌えるようになるはずです。しかし、残念ながら今のところそのようなものはないし、これからも出来そうにないと思います。これに比べて例えば骨折の治療を考えた時に、正しいメソードは既にあります。折れた骨を定位置に戻す。それがまたずれないように固定する。1ヶ月ほど待つ。折れた骨をつなぐための接着剤が必要だとは誰も思いません。細かいところは改良されていきますが、大筋これと違うことが行われることはないし、この方法で7割くらいは上手くいくが、残りの人の骨折は治らないといったこともありません。しかし、このようなメソードを作れないのが発声の世界です。
ここでは色々な発声練習の根拠を書いていこうと思います。根拠が分かっているということはとても大切で、前提となる根拠が変わった場合、すぐに考えを修正することが出来ます。内視鏡がなかった昔は声帯の動きを想像して練習方法を考える必要がありましたが、今はとてもはっきりと声帯の動きをそれも動画で捉えることが出来ますので、以前行われていた練習の根拠がだんだんはっきり分かるようになってきました。しかし、今後さらに技術が進んで、さらに分かることが増えてくると、今までの常識を覆すような新しい練習方法や考え方が出てくるかもしれません。根拠が分かっているとすぐに今までの考え方を修正することも出来るようになります。外からは見えない筋肉の内部の動きや、今は声帯の肺の方からの運動を見ることは出来ませんが、それが見えるようになった時に発声も新しくなるかもしれません。
まずは一般的な勉強の仕方、もしくは教育の方法について考えてみます。
1小学生の頃、金粉を全身に塗ると皮膚呼吸できなくて死んでしまうという話を聞いたことがあります。もちろんうそなのですが、子供の頃は本当だと思い込んでいたことを覚えています。理科の授業で肺以外の呼吸器官は出てこなかったわけで、もしある程度の割合で皮膚呼吸しているならば、それは必ず教科書等で見かけていたはずです。よく考えればこれがうそだと言うことに簡単に気付くはずなのですが、大人になるまで信じていました。
2最近エビデンスと言う言葉をよく聞きます。特にコロナのようによく分からないものが出てくると、それにどう対処したら良いかについて色々な意見が出てきます。そうすると、そのエビデンスは?と問われることになります。大抵専門家がどう言っているかということになるようですが、未知のウイルスについて正しいことが分かるわけもなく、結局専門家の意見も様々で、エビデンスのエビデンスを求めるような作業の繰り返しになっていきます。
教育は正しいことを教えるということがその大きな課題の一つなのですが、正しいとされているものが実は違っていたり、本当はもっと良いものが他にあったり等、正しいことを教えるということには限界があります。1のようにさすがに理科の先生が最初に書いた金粉の話を信じていたということはないでしょうが、長く常識として伝えられてきたものは、よく考えれば違うと分かるものであっても、考えを変えていくのは難しいものです。また、2のコロナの話のように、まだまだよく分からないものはたくさんあります。人の肩書きで正しいと決めつけるのは危ういことがあります。正しいことを教えたいのに、そうはいきません。
このように正しいことは何かということがあやふやであれば、考え方を教えるという方法が考えられます。
1の例では、まず呼吸はほとんど肺でのみ行われるというところからスタートします。そうするといくら金粉を塗って皮膚が空気と触れなくなったとしても、呼吸できなくなるということはあり得ない。と結論することが出来ます。さらに今後の研究で、実は数パーセント皮膚呼吸しているということが分かったとすると、その数パーセントが命に関わるような数なのかが問題になり、新しく考えることが出来、情報が増えれば増えるほど、より真実に近づいていくことになります。これは正しいことはこうだと教えるよりももっと大切なことだと思います。
このエピソードでは理科の時間に人間の呼吸では肺呼吸しか出てこなかったことが基本的な材料になっています。しかし、疑い出すと教科書も間違っているかもしれないとも考えられるし、何を基準に考えたら良いのか分からなくなることもあります。デカルトの「我思う、故に我あり」がすべてのことを疑った最後に、今真実は何かということを考えている自分は疑いようがないものだとし、そこから物事を考えていこうというものですが、ここまで戻ると何も分からなくなってしまいます。ある程度確からしいものにたどり着いたら、その後はそれを基に考えを進めた方が良いでしょう。そして基になっているものが分かっていると、それ前提が訂正されることがあった時に、すぐに今までの考え方を修正できるようになります。盲目的に何かを信じてしまうとその考えを捨てられず、先に進めなくなってしまいます。
音楽に関して学生の頃教えて頂いたことやその当時正しいとされていたことで、今は違うというものがいくつかあります。発声に関しては山のようにあります。音楽に関しては新しい資料の発見が大きく、発声に関しては医学の進歩、とりわけ医療機器の進歩が大きく関与しています。これらの新しい発見はこれからも続いていくことだと思われます。新しい資料が見つかれば、それを基にもう一度考え直して、より真実に近づくことが大切になってきます。
あまり好きではない表現に「正統なベルカント」があります。ベルカントは今から200年以上前の歌唱法を指しますが、200年もたつと何が正統なのかは全く分かりません。また当時のベルカントは衰退していったのですが、本当に素晴らしいものであれば衰退するわけはありません。問題があったのです。当時のベルカントを復活させたとしても手放しで素晴らしいとは言えないでしょう。たとえば楽譜は非常に完成度が高いですので、五線譜が出来てから基本的な書き方に変化はありません。完璧かと言われるとそうではありません。楽譜は縦方向に音の高さ、横方向に時間を表したグラフの形をしています。しかし、縦方向に見た時にミとファの間、そしてシとドの間だけ半音で、その他は全音というグラフとしては不自然な形をしています。全部の幅を半音としても良かったのですが、1オクターブで7線ほど必要になり、とても見づらい楽譜になってしまいます。また横の時間軸に関しても、音符が多い小節は長くなり、逆に少ないと短くなるので、一定ではありません。しかしそのおかげで、譜めくりが少なくて済みます。完璧ではない分合理的に出来ています。さらに楽譜の読み方を勉強すれば必ず正しい演奏が出来るように書かれています。とても完成度が高いです。
私はフースラー先生の弟子の弟子の弟子に当たりますが、当時の先生の指導と実際に私が習ったものは違うでしょうし、原型がなんだったのかについてはほとんど興味はありません。ただ発声筋と音の関係を研究されたのは素晴らしいことだと思います。後の時代の人間の使命としては新しい情報が手に入った時にもう一度今までの常識を考え直して、より真実に近づくことだと思います。
ここでは発声の真実に近づくための考え方を書いていこうと思います。
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