前々回「新しい発見」をし続けることの面白さと、それを邪魔する先入観について書いてみました。そこで今回はそれを基にして、どういう風にレッスンに臨んだら良いかを考えてみます。レッスンは順調に進んだり、そうではなかったり様々です。順調にいかない要因として、筋肉のコントロールがうまくいかずぎこちなくなってしまったり、筋力が足りなくて鍛える必要があったり、頭の善し悪しではなく、おそらく音楽のための神経がまだうまくつながっていないとか、いろいろな要因がありますが、中でも一番やっかいで、時間がかかるのが先入観です。
筋力が足りなくても使い続けていくとある程度はすぐにつきます。神経支配がうまくいかなくても、自転車乗りのように、少し頑張ってやり続けなければなりませんが、そのうちに誰でも出来るようになります。しかし、先入観は場合によってはとても根深くその人を支配しており、一番時間がかかるものです。
先入観とは少なからず誰でも戦っていかなくてはいけません。本当に戦いです。そのための方法の一つです。レッスンの直前に極力頭の中を真っ白にします。直前に音取りをしたり、言葉の練習をしていると、それで頭はいっぱいになってしまいますので、すべて前もって済ませて、何も考えないで良いようにします。そしてレッスン中はそこで今行われることだけに集中します。それもものすごく集中します。発声練習から始まったとします。まず先生の見本をまねるようにレッスンは進んでいくことが多いと思いますが、先生の言葉だけではなく、音質、音量、テンポ感、揺れの感じ、間、手の付け方、体の動き、顔の表情などすべてに集中しそれを再現しようとします。そして実際に自分で声を出す時にも、同じように、音質、音量、テンポ感等などできるだけすべての要素を感じ取ろうとしていきます。決して簡単なことではないです。頭の中に少しでも他のことが入っているとたくさんのことを見逃してしまいますので、何でも入れられるようにニュートラルな頭が必要になります。この時にこの練習は自分に合っているのだろうかとか、今必要なのだろうかとか、もっと違うことを習いたいのにとか、とにかくほかのことは考えないようにします。先生に従順で無ければならないということではありません。レッスンの後で色々考えることは自由です。とにかくレッスン中は迷いが頭の中に出てこないくらい集中することです。またもう一つ。先生が止めるまでは決して諦めないことも大切です。出来ないと思っても先生がやり続けたとすると、きっと出来るという判断です。たくさんのレッスンを通して、このまま続ければ出来るという判断ですので、出来るだろうと思ってやり続けます。
同じように出来ると一番良いのですが、出来なくてもたいしたことはありません。何が出来て何が出来なかったのかをしっかり覚えていきます。そしてうまく出来なかった部分をまた自分で思い出しながら練習をし続けていきます。これがすべてうまくいって、全部出来るようになったにもかかわらず、うまく歌えなかったとしたら、責任はすべて先生にあります。
私のレッスンでは少なくとも提示したものをすべてある程度クリアしていけば、確実に上達するようにレッスンしています。何か独自に別の練習をしなければならないものはないようにしています。それもすべてクリアしなければならないのではなく、ある程度でしっかり進んでいけるようにしています。発声的にも音楽的にも必要なすべての要素から今すぐに手を付けるべきものと時間をかけてクリアすべきものを分け、それらの課題に対して何重かの方法を使ってアプローチし続けます。おそらく良い先生は皆さん順番や方法は違っても同じだと思いますので、とにかく目の前のものに集中し、レッスン中はそれのみをクリアできるように頑張る。当然のことですが、これが一番の早道です。レッスン以外の時間は自由です。今日やった練習は本当に必要なのだろうかと考えるのも自由です。もしかしたら、違う練習をした方が良いかもしれないと考えても全然大丈夫です。しかし、また次のレッスンで同じ練習を提示されたら全力でそこに向かって何一つ落とさずまねることに集中をしていきます。そのうちに先生の提示された練習の本意が見えてきて、おそらく自分の中に入っていくことになります。そしてそのようにして自分の中に浸透したメニューはもう無くなりませんので、毎回時間をかけて練習する必要はありません。時折確認するだけで十分です。頭を空っぽにして目の前にあるものに全集中することが先入観から逃れる最善の方法だと思います。このことにより、こうで無ければならないとか、こうであってはいけないといった先入観から解放されるのです。
今の練習メニューにのみ集中し、先入観に邪魔されないようにすべきなのですが、その一例です。喉を開ける練習から始まったとします。先生は喉周辺の使い方について指示するし、首の筋肉も積極的に使われ、手も顔の近くで動かされる、音も通常よりも頻繁にポジションが変化する声になるのですが、しかしそこに集中せずお腹を使わなければと思ってしまって(これが先入観です)、お腹ばかり考えてしまうと、今の課題である喉のことを全くもしくは少ししか感じられなくなってしまいます。そうすると喉を開ける練習を通して見つかるものが見えなくなってしまい、「発見」につながらなくなるわけです。確かにお腹の使い方にも課題はあったのかもしれませんが、先生は喉を開けることにより、無意識に横隔膜が活発に反応してしまうことも期待しています。意識的に使うよりも正しい効率の良い横隔膜の運動を獲得するチャンスでもあったのです。逆に喉を開ける練習を提示したにもかかわらず、お腹の動きが良くないと言われたとすると、それは先生がよくありません。喉を開けるという最初の目的が横隔膜の不足によりうまくいかないとしたら、すぐに横隔膜の練習を入れて、動き出したところでまた喉を開ける練習に切り替え、体の動きと結びついた開いた喉を獲得できるように練習メニューを作っていきます。とにかく言われたことだけに反応すれば良いような練習の進め方が先生には必要になります。目の前のものにしっかり集中したにもかかわらず、良い結果に結びつかなかったら、それは全面的に先生の責任ですので、先生はそれをしっかり背負って仕事しているものです。
カテゴリー一覧