コロナの影響で残念ながらほかの音楽家の皆さんと同様、なかなか仕事が出来ない状態にあります。そこで空いた時間を使って録り溜めてある映画を見たりしています。「羊と鋼の森」は調律師を描いた映画です。羊はハンマーを作っているフェルトの材料で、鋼は弦の材料です。森はピアノの本体でしょう。その中で、主人公の調律師が、音作りに悩んだときに、彼が調律師になるきっかけになった先輩の調律師に相談したところ、詩人の原民喜さんの言葉を伝えるシーンがあります。詩人が理想とする文体3つです。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
懐かしいはセピア色のようなややくすんだ色を思わせますが、明るくすんだ文体の明快さは通常反対のイメージです。
甘えているものはきびしいものと反対のイメージです。
夢と現実は反対の要素です。
この詩人の言葉に異議を唱えたいのでは無く、その反対の話です。私が音楽のを作るとき、常に沈黙を含んだ音を出したいと思っています。音と沈黙は逆のイメージです。しかし、音が意味を持つためには静けさとの対比が無ければなりません。力強いフォルテはより大きな音を出した方が良さそうですが、無音の状態を想像できなければ、フォルテの意味は無くなります。より大きな音を出すように練習するのでは無く、音の無い状態を感じられるフォルテを目指すと言うことです。そしてピアノは沈黙の緊張感を常に感じられるピアノでなくてはならない。小さければ良いと言うことではありません。沈黙はとても力強いです。
なんだか分かるような分からないような、だまそうとしているような言葉に見えるかもしれませんが、音楽が人の心に深くしみこんでくるには、反対の要素を同時に含むような、細部が全体に、全体が細部につながるような音を探していかなくてはならないように思っています。細部が全体に、全体が細部につながるような音楽作りに関しては、また別の機会に書いていきます。
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