音楽史は授業でも取り上げられ、様々な研究がなされています。これは作曲の歴史ですが、それに比べて演奏の歴史はあまり取り上げられないようです。演奏の歴史もおもしろいと思うのですが、古いものに関しては楽譜や文献から想像するしか無いので、録音を残せるようになって以来を、本格的に演奏の移り変わりとして研究されていくことでしょう。これから出てくる分野かもしれません。
歌曲はとても手軽に演奏できる割には、演奏会においてあまり重要な分野ではありませんでした。ドイツリートの分野でも同じで、特定の良く歌われる曲以外はあまり取り上げられず、伴奏に至っては歌を目立たせる以上には重要視されていませんでした。これを変えていったのがディートリッヒ・フィシャー・ディースカウをはじめとする歌手たちでした。特にディースカウはほとんど取り上げられなかった歌曲をプログラムに載せていっただけでは無く、数多くの作曲家の歌曲の全集の録音を手がけ、それだけでは無く、大量の録音をレベルを落とすこと無く丁寧に作っていったことは、リートの演奏史では大きな役割を果たしていったといえるでしょう。
ドイツリートを専門とする人たちにとっては神様のような存在になるのですが、次の世代の演奏家にとっては、逆に大きな壁になって、新しい発想の邪魔になることもあります。
古典派からロマン派に移り変わっていくときには、ベートーヴェンが大きな壁になりました。そして、その後もベートーヴェンを継承し、大きなオーケストラ作品等を書く作曲家と、室内楽や歌曲ピアノ曲のように、小さな作品を書く作曲家に分かれていきました。時代をリードする大きな仕事をする人が現れると、ぐっとその分野は発展していきますが、その次の世代には混乱が起こるものだと思います。
あえて違う演奏をしなければと思う必要はありませんが、あくまでも自由な発想をなくさないようにすべきだと思います。ディースカウの呪縛(ディースカウファンの皆さん申し訳ありません)から解放されるヒントとして、言葉のイメージより、少しだけ音そのものの表現を優先させると、新しい可能性が出てくるかもしれません。
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