ヴィブラートに関しては少しややこしい事がいくつかあります。色々と考えていきたいと思います。まずヴィブラートは音の揺れですが、音量では無く音程の揺れです。さらにそれは喉の揺れで起こるもので、横隔膜の振動で起こるものではありません。ヴィブラートはお腹でかけなくてはいけないといわれたとしても、支えが無くなってはいけないといったニュアンス以上に、お腹が喉に振動を伝えたりはしません。
ではよくない状態である音の揺れとヴィブラートは何が違うのでしょうか?これは本質的には同じ現象です。しかし良いとされるヴィブラートはしっかりとコントロールされていますので、音の揺れ幅もスピードも、またかけるかけないも自由になります。声楽の練習でヴィブラートのかけ方はあまり取り上げられていませんが、もしかすると、これからもっと有効に使えるような練習をすることが、常識になってくる分野かもしれません。
次にヴィブラートの役割を考えてみます。発声的には喉を守るという大きな役割があります。声を出すということは良い発声をしていても、少なからず喉に負担をかけます。揺れの無い固定してしまった喉ではその負担は大きくなりますので、揺らすことによって喉にゆとりが生まれ、喉を守る働きをしてくれます。そして、その揺れのおかげでより表情を持った音になって聞こえますので、音楽的でもあります。さらに響きを増幅して感じられるので、残響の多いホールで聞いているかのような感じもします。
やっとで出せた高い音や大きな音にはヴィブラートはなかなか付けられません。無理をした声になってしまう場合に、ヴィブラートを付けることによって、堅さを軽減でき、脱力にもつながることがあります。
いいことばかりのヴィブラートに見えますが、ヴィブラートはだめだという意見もよく聞きます。例えばハーモニーがきれいでは無いという理由から。しかしどうも疑わしいところもあります。例えば弦楽四重奏はほとんどの箇所でヴィブラートを付けます。常に左手を動かし続けなければいけないので、ヴィブラートを付ける方が大変なのですが、常に付けます。また、ヴァイオリンのレッスンではアウフタクトの短い音でヴィブラートを付けていないと、「その音は生きていないよ。短くてもヴィブラートは必要だよ」と言われたりします。そして弦楽四重奏で、ヴィブラートが付いているためにハーモニーが崩れていて残念だったと思うでしょうか?
もし残念なことがあったとしたら、おそらく揺れの規則性が無かったり、歪だったり、大きく揺れすぎていたり、逆に小刻みすぎたりなど、コントロールの悪さが原因なのでは無いかと思います。
古楽演奏ではオーケストラでもノンヴィブラートを要求されていた時期もあったようです。おそらく時代が進んでいくと無くなっていく考え方のような気もします。しかし、ヴェルディのオペラを歌うときにヴィブラートなしは考えられませんが、パレストリーナの宗教曲を歌うときにヴェルディと同じヴィブラートもあり得ないことです。
かけるかけないも含めて自在になるヴィブラートを手に入れて、音楽に合わせて使い分けていくことが大切だと思います。
ロマン派以降のオペラはいくらでもヴィブラートをかけても良いというのもどうかと思います。音の中心がぼやけ、それこそハーモニーが美しくなく、音のエネルギーは伝わってくるものの、そのほかの要素がぼやぼやしてしまいます。例えばオーケストラで大きなヴィブラートをかけるシーンがたまに出てきますが、何かが壊れてでも濃い表情がほしいときだけで、短時間で終わってしまいます。
必要か邪魔かの論争では無く、自在になるようにして、あらゆる可能性から目の前にある音楽にはどう利用するか考えた方が良いでしょう。
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