人前で演奏をすると色々な人から演奏に関するコメントをもらうことがあります。友だちや家族のこともあり、コンクールやイベント等で音楽の専門家がいらっしゃっているときには専門家からのコメントをもらえることもあります。一般の方からのでも専門家のものでも、コメントがとても良く作用するときと、逆に邪魔をしてしまうときがあります。今回はコメントを伝えるときと受け取るときに分けて、それぞれ考えてみようと思います。
まずはコメントを伝えることから。知り合いの演奏会に行ったときには何かしらの感想を聞かれるだろうし、伝えた方が良いと思います。ただ、なかなか難しい事でもあります。基本的には良かったところとこれからの課題になるところを伝えられると良いのですが、そんなに的確に分かるものでもないし、でも、今後の役に立つような一言が言えればとも考えます。もちろん伝えたいことがあれば、正しいか正しくないかなどはっきり分かるものではありませんので、とりあえず伝えた方が良いと思いますが、何を伝えたら良いか分からないときには、ぜひ良かったところのみを伝えてあげられればと思います。例えば9割褒めてあっても1割課題を伝えられると、演奏者は課題だけが大きく頭に残ることがあります。そしてその課題は正しかったとしても、今取り組むべき事でははなく、後回しにする方が良いとか、他の課題に取り組むことで自然に解消されるものだったりすることもあります。課題を伝えることは本当はとても難しいのです。それに比べて、褒めてもらったことは何の害も及ぼすことはありませんし、また次に向かって頑張ろうというエネルギーになります。
良い部分を伝えたいと思っても何を言えば良いか迷うかもしれませんが、これは何でもかまいません。何の害もないのですから、簡単です。衣装が良かったとか。出てくるときの雰囲気が良かったとか。音が伸びやかできれいだったとか。ピアノとのやりとりが素敵だったとか。感動したとか。何でも良いのです。さらに良いところを探そうと思って演奏を聴くのもとても良いことです。課題を伝えなければと思うと、あら探しをするような聞き方になってしまいます。せっかくの演奏の素敵な部分を聞き逃してしまいます。
ではコメントをもらう場合です。先ほども書いたように、たくさん褒めてもらってもほんの少し出てきた課題に注目をしがちです。まずは褒めてあるものをしっかり受け止めるようにしましょう。コンサートで最後まで演奏しきっただけですごいことです。それを聴いた人が、しっかり声が出てたとか、気持ちが伝わってきたとかいってくれたとしたら、最後まで演奏出来た以上のものが伝わったとそのまま受け取ってしまいましょう。問題は課題として受け取った意見です。完全無視ももったいないので、ゆっくり考えた方が良いです。課題なんてどこまで行ってもいくらでも出てきます。プロの演奏家でも同じです。その課題は的確なのか、そして今考えるべき事なのかなどの分析が必要になります。
生徒さんがコンクールや音楽祭などで演奏したときに専門家からコメントをもらったと見せてくれることがあります。とても的確に書かれているものも、どうかなと思うものもありますが、見せてもらったら、そのコメントの翻訳をします。もちろん日本語で書かれていますので、翻訳というのは変ですが、先生の真意を伝えるということです。いくつか例を挙げてみます。
もう少し口を大きく開けた方が良いと書かれていたとします。これは本当に大きく口を開ければならないということではありません。喉が開いていない(声帯が適度に引き伸ばされていない)という時か、言葉が明瞭ではないということしか考えられません。本当に口を大きく開けることが必要なわけではないということです。もし本当に口を大きく開ける練習をしても喉が変わらなかったら、次に同じ先生から、口の開けすぎという指摘をもらうことになるでしょう。
もっとお腹を使って歌えると良い、とあった場合は、一つは声門の閉鎖が足りないということ、この場合は声が小さくなりますので、もっと大きな声で歌うことが必要になります。もう一つは声帯はしっかり閉じていて声量もあるのだけれども、喉に近い筋肉に頼りすぎの場合。この時には喉が十分に開いていないと表現されることの方が多いですが、お腹がつかえていないと表現されることもあります。さらにもう一つ考えられるのが表情が少ないときですが、この時はお腹は繊細に動く必要がありますので、単純にお腹を使うと表現されることは少ないです。
そば鳴りしている、遠くに音を飛ばすように、息に乗せて等もよく指摘されますが、これらはほぼ同じ意味です。単純にいうと喉が十分に開いていないということです。声は中心の周波数だけではなく、その他の周波数の音を同時に出しています。そしてそれらが多すぎると汚い声になり、少ないときれいな音になります。喉が十分に開いていないと雑音が多くなり、そば鳴りをしていると感じられます。喉から出た声はホールの壁にぶつかり反射を繰り返し、それらの音が増幅してよく響くわけですが、たくさんの周波数の音が出ているときれいに増幅されないので、そば鳴りをした、遠くに届かない音に感じられます。しかし実際には汚い声も声帯の閉鎖がしっかりしていると、遠くでもはっきり聞こえます。これに対して閉鎖が悪いと振動が弱くなりますので、あまり聞こえない声になります。またこの時に注意しなければならないのが、音を飛ばすのだからたくさんの息を吐かなくてはいけないと思いやすいのですが、そうするとますます声帯は不規則な振動をして、雑音の多い声になってしまい逆効果になります。音がよく飛ぶことと息の量は全く関係がありません。
子音をもっと立ててという指摘もとてもよく見かけます。ここでは一つ重要なことがあります。声やリズムや音程などの基礎的な音楽、表現等に大きな問題があるときには子音をもっと立てて等書くことはありません。他が良かったので、それ以上に良い演奏にするために一歩進んだアドヴァイスとして発音についての指摘があったということになります。例えば苦しそうに聞こえたときに、子音をもっと等の指摘をするよりも、苦しくないようにどうしたらよいかということを書きます。言葉がはっきりと聞こえないときによく子音を立ててと言われますが、母音に問題があることの方が多いです。音は必ず母音を中心に作られますので、子音を立ててと書かれたとしても、まずは母音をしっかりさせることがより効果的であることもあります。次は強く聞こえるべき子音を考えます。他の子音を犠牲にしても聞こえるべき子音をはっきりと発音していきます。ここで子音をはっきり発音しようとしすぎたときの弊害も書いておきます。どうしても子音の発音が優先されますので、母音がぼやけやすくなります。そして音楽があちこちで立ち止まって流れがなくなることもあります。母音を中心に練習をすると音楽の流れが確保されます。その中で必要な子音のみはっきりと発音されると、それだけで十分に言葉は伝わります。
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