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良い意見と悪い意見~音楽について 37

評論家の役割

 芸術に批評はつきものです。評論家という仕事が昔から成り立っており、結構な高給取りだったりもします。理由は簡単です。芸術の善し悪しは分かりにくいために、高名な評論家が良いといえば良いのだろう、悪いといえば悪いのだろうといった基準になるからです。なんともくだらない仕事だといえばそれまでですが、そればかりではありません。他の人が気付かなかった、もしくは気付きにくい芸術の素晴らしさに光を当て、本来なら埋もれてしまっていたようなものに、本当の価値を付けてくれることにもなります。これが上手く機能しなければ、芸術家はより良いものを作るのではなく、より大勢が認めてくれるものを作らなければならなくなり(そうしないと生きていけないので)、もしかすると本当に良いものは近い将来なくなってしまうかもしれません。

好き嫌いと批評

 批評は評論家のみが出来るものでは無く、誰でも気軽に出来ます。パバロッティが好きだとか、深みが足りないからドミンゴの方が好きだとか、カレーラスの声の切なさには誰もかなわないなど、飲みの席で音楽好きが集まると、このような話は日常茶飯事です。片寄っていたり、間違っていたりしても気にせずに大いに楽しみながら、意見をぶつけ合うことも素敵なことだと思います。

演奏の良さに気付くこと

 少し話がずれますが、私は中学生くらいの頃からクラッシック音楽を聴き始めました。子供でしたので、レコードもほとんど買えず、ラジオの番組をカセットテープに録音して聴いていました(年齢が出ますね)。雑多に色々と聴いていたのですが、誰もがそうするように、自分なりに評価をして、良いと思ったら繰り返し聴くし、良くないと思ったらそれっきりになります。そして、今思うと良いと思ったもので、今聴くと全然良くないと思うものは一つもなく、逆に当時良くないと思ったもので、今は大好きなものはたくさんあります。

 これは良いと思ったものは少なからずその演奏の良さが分かったもので、良くないと思ったものは良さを見つかられなかったからだと思います。プロの評論家の意見ですら、このような傾向はあります。つまり、良い意見には自分が聞き逃していた演奏の良さが隠れているかもしれないのでもう一度考え直してみる。良くない意見は聞き流す。これが一番批評を有効に使う方法のように思います。

 自分の演奏に関しても、色々な批評をもらうことがあります。褒めてもらったのは信用し、批判的なものは無視するといったスタンスもあるかもしれません。(貴重なアドヴァイスも隠れているかもしれませんが・・・)

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