私自身はフースラーの弟子の弟子の弟子に当たります。ここまで離れると原型が何で、その後改良されたのが何かが分からなくなってしまいます。そのため、実際フースラーのレッスンがどのようなものだったのかはよく分かりません。しかし、学問として発声の歴史を調べるわけではありませんので、原型が何だったのかということはそれほど大切ではないように思います。フースラーは「Singen(歌うこと)」という本が残しましたが、そこには練習の仕方は何一つ出ていません。練習メニューはおそらくずいぶん改良されて、効率よく、誰にでも当てはまる練習になってきているのではないかと思っています。このようなフースラーの発声の特徴を書いてみます。
フースラーのアンザッツ(あたり)の発声での実践~発声のしくみ59
小澤征爾さんの先生である齋藤秀雄さんは指揮法の本を残しました。とても画期的な本だったのですが、それは指揮棒の振り方を叩き、平均運動、しゃくい等のいくつかの形に分類したことにあります。フースラーも声と、声帯をはじめとした筋肉の運動の関係を分類したのが、画期的だったように思います。声にはいろいろな状態があります。重い声、軽い声、薄い声、安定した声、不安定な声、固い声、柔らかい声等など、色々ありますが、それらの声と声帯や声帯周辺の筋肉、場合によっては呼吸筋まで含めた分析がなされています。
時々レッスンで生徒さんに、今の声はいい声でしたか?とか、2種類の声を出して、どちらが良い声ですか?といった質問をされることがあります。しかし、声はそんなものではありません。例えば重い声はいい声ですか?といわれても良いし悪いとしかいえません。重い声をあまり無理をせず出せていれば、とても良いことですが、その時に声帯は少し厚くふれあっています。そこに必要十分な伸展筋の働きがあれば問題ないのですが、そのバランスが悪ければ、音程が下がりやすくなるし、場合によっては高音がだんだんと出せなくなってしまいます。かといって軽い音だけを目指すべきだというのはまた変な話です。重い音が必要な曲は声楽の世界からなくなっていってしまいます。
このように声と声帯を中心とした筋肉の使われ方、さらにその時のあたりの位置の感じられ方などが分類されているのが、フースラーの発声法ということになります。ということで、フースラーの発声法は良いか悪いのかという判断はありません。理論の正しいところと間違ったところを見つけていく作業になります。当時よりももっと正確に声帯の動きを観察できるようになっていますので、さらに進んだ発声理論の本が出てもいいようにも思いますが、まだ今はないようです。翻訳の問題か元々の問題か分かりませんが、時折曖昧な、表現になっており、おそらくこういうことだろうと想像しながら理解しているところもありますし、体調や、飲んでいる薬等と声帯の関係、また精神状態も発声に大きく関与してきますので、そのような研究ももっとあってもいいように思います。
フースラーの発声法もベルカントも原型は分かりませんし、どれが一番正しいのかと思うよりも、今分かるそれらの長所を生かし、最善なものを探していった方が良いでしょう。「フースラーの発声法を教えます」も、「正しいベルカントを教えます」もどうだろうと思ってしまいます。
曖昧に見える発声の世界を明確に分類したのが、一番のフースラーの功績だったと思います。音楽表現も、気持ちを込めて、もっと集中して、詩を読み込んでといわれてしまいがちですが、もっと明確に分類できることがあります。これもそのような本はあまり出ていないように思いますが、書けと言われたら書けそうな気もします。精神論にしてしまわず、しっかり考えていくことが大切なのでしょう。
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