常識的に言われていることを一度は疑ってみるのは、あらゆる事において大切な気がします。
私は時間とお金が許せば、海外に旅行に行きます。仕事柄圧倒的にヨーロッパが多いのですが、常識だと思っていることが海外では違うということによく遭遇します。どちらが良いということではなく、そうでないようにと思いながらも、やはり偏った見方をしていることに自分で驚くことも多いです。
教育はこれが正しいと教えるのではなく、自分で何が正しいかをしっかり考える方法を教えることではないかと思います。レッスンにおいても、指示することについては極力理由を説明し、またいくつかの方法が考えられるときには理由とともにいくつかの方法を提示し選んでもらうか、今日はこの方法でやってみようと提案をすることが多いです。限定された方法で演奏するより、意味のある自由な演奏が可能になるからです。
脱力は良いこと、力を入れるのは悪いことといった感覚のある人は多いかと思います。「良い演奏だったけどもう少し力が抜けるともっといいね。」という感想はよく聞くし、受け入れやすい意見の一つだと思います。これを否定するわけではありませんが、果たして、脱力を考えて歌う必要はあるのでしょうか?
発声では力を入れることが必要です。声帯を引き延ばし、しっかりと閉鎖させ、それを補助するために横隔膜はじめ、胸筋等様々な筋肉の力を使います。しかし、必要な力がうまく入らないときに必要以上に、もしくは必要ない筋肉も使って、本来動かさなければいけない筋肉を動かそうとします。この状態が力が入りすぎているということになります。
では脱力を考えることがどれほど役に立つでしょうか?経験上うまくいくケースは少ないです。うまくいくのは短期間だけ脱力に集中する場合で、長期間脱力を考えると脱力をすることの欠点のみが現れてきやすくなります。必要な力が足りなくて余分に力が入っているのに、必要なところの力を抜いてしまうという現象が起こってきます。力を入れるのは悪いこと、脱力は良いことと考えがちですが、長期間脱力にとらわれすぎている場合は、疑ってみた方が良いかもしれません。
必要な力がうまく入ったときに無駄がなくなり、今までに比べてとても楽に感じていきます。これが脱力の正体で、脱力をしようと思って獲得できるものではないのかもしれません。
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