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In der Fremde(異郷にて)~シューマン 2

In der Fremde


Aus der Heimat hinter den Blitzen rot
Da kommen die Wolken her,
Aber Vater und Mutter sind lange tot,
Es kennt mich dort keiner mehr.

Wie bald,ach wie bald kommt die stille Zeit,
Da ruhe ich auch,und über mir
Rauscht die schöne Waldeinsamkeit,
Und keiner kennt mich mehr hier.




異郷にて


赤い稲妻の向こうに見える故郷から
雲がこちらに流れてくる
だが、父母はとうの昔に死んで
もう私を知る人は誰もいない


もうじき静かな時が訪れる
その時、私にも安らぎがやってきて
私の上で森の静寂が音を立てる
そしてここには私を知る人はいない

寓話性

 稲妻に照らし出される故郷の設定は、どうも童話のような印象を持ってしまいます。それは子供のための話という意味ではなく、現在なのか、現実なのかどうもあやふやだということです。ローレライの伝説をテーマにした「森の対話」や「城にて」などでもそれらが交錯していきます。


もうじき訪れる静かな時」は死で、主人公はここで仮の死を体験し、そして、自分が眠っている森の土の中から森の孤独の歌を聞きます。そして彼は今も、これからも誰も彼を知る人のない孤独の中に身を置きます。

曲の風景

 この曲は嬰ヘ短調で始まり、同主長調の嬰ヘ長調で終わり、また曲集全体も、同じ調で始まり、終わりますので、象徴的な感じがします。
 ピアノは一貫して、ギターのような分散和音が続きます。(もとの小説でもギターに合わせて歌う設定になっている)
 最初の5小節は主和音と属和音の繰り返しで安定した中に、稲光に照らし出された故郷を描いていきますが、2拍目4拍目にアクセントがあり(4拍子の場合は1,3拍目に通常アクセントがあります。2,4拍目にアクセントを置くことで安定した音楽の中にうっすらと不安定さが表現されます。このアクセントは感情のアクセントではなく、この不安定さのために付けられるべきでしょう)、奥に隠された 不安感が垣間見られます。またこの不安定感はピアノだけで背景のように表現されていますので、歌が同じように歌う必要はありませんが、背景としてアクセントを感じることは大切です。

言葉と音楽

 6小節目から「父も母もとっくに死んでしまっている」と歌いますが、歌のパートはほぼ前のフレーズの繰り返しで、ピアノの和音はやや複雑になっていま す。そしてベースラインに半音階の下降を含んだメロディーが生まれて、2分音符で書かれています。(実際はペダルをずっと踏んでいますので、踏み換えるま ではすべての音は残ります。このベースはメロディーとして聞こえるように他の音よりも少し明確に弾かれた方が良いでしょう)
 そして、「母」と歌う時に、減7(すべて短三度で出来た4音の和音)が使われています。

言葉の繰り返しと音楽の変化

 10小節目からはベースラインに加えて、ピアノの右手にもメロディーが生まれますが、これは歌から派生したもので、だんだんと歌をなぞっていきます。
 「私にも安らぎがくる」は2回繰り返されます。1度目は死を望んでいるかのような平行調のイ長調、そして、2回目は下属調の悲しみのロ短調に変わります。
 そしてそのままロ短調で森の孤独を聞きます。16,17小節だけピアノの右手にアルペジオがありますが、冒頭のような不安定さとともに、森のざわめきの音を表しているのでしょう。

ナポリの和音

 22小節目にはナポリの和音(短調の2度の和音の根音を半音下げたもの)が使われています。ナポリの和音は短調の中に長3和音をいれることになり、独特の表情が出ます。シューベルトでも大切なシーンで良くこの和音が使われます。
 25小節目の後奏から嬰ヘ長調に変わりそのまま終わっていきます。帰るところも、今の居場所もない孤独な主人公が、仮の死を遂げます。ここからまた新し い人生が始まっていくことになるはずですが、最後の長調への転調は、まだおぼろげながら、新しい世界への希望なのかもしれません。

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