著名な先生に習う時にも自分で考える必要があるということを前回書きました。今回もそのような例をいくつか書いてみます。
rit.とritard.は全く同じritardando(リタルダンド)の省略形です。どのように書いても本来は「だんだん遅く」という意味です。ただしシューマンの曲では注意が必要です。ritard.と書いてある時に本来のリタルダンドの意味とは違って、「突然遅くする」演奏が必要なことがあります。徐々に遅くなるのではなく、記号のところでいきなり遅くして、さらに遅くなることも、また遅くなったまま一定のテンポで演奏することもあります。このように演奏してほしければ通常はリテヌート(ritenuto)を使うのですが、シューマンではritard.が使われます。このような特殊なことは他の作曲家にはないので、先生は教える必要があります。「シューマンのritard.は突然遅く演奏します」といった風に。有名な先生でなくとも、シューマンをちゃんと理解せいている先生のレッスンではこのことは早くに伝えられます。ここで生徒の理解は2つに分かれます。
- シューマンではritard.と書いてある時に突然遅くする場合がある。
- シューマンのritard.は必ず突然遅くしなければならない。
最初のように考えて、ritard.の度に通常ではない、突然遅くする演奏も可能性があるとして考える方が良いのですが、先生を盲信しているとシューマンでは常にritard.が出てくるといきなり遅くしなければならない、と考えてしまうとおかしなことになってしまいます。
もう一つの例です。ある海外の先生の公開レッスンで「シューベルトの演奏では高い音に向かってデクレッシェンドしなければならない」とおっしゃっていたというのを聞いたことがあります。これは先ほどの例とは違ってとても特殊な表現です。実際にそのレッスンを聞いていなかったので、先生の真意は分かりません。どの作曲家の作品であっても基本的には高い音に向かってクレッシェンドするもので、高い音に向かってデクレッシェンドするのは珍しいことです。「魔王」で子供が「お父さん、お父さん」と絶叫するシーンはすべて高い音で歌われますが、このシーンを他よりも小さく歌うなど考えられません。影法師 (Doppelgänger) で自分の前に現れた影を自分自身だと気づいて愕然とするシーンはmeine eigne Gestaltに向かってだんだん音が高くなり、最後にこの曲の最高音G(ソ)にたどり着きますが、これをクレッシェンドしない演奏はあり得ません。ここからは想像するしかないのですが、柔らかい声で歌う曲を、オペラの激しいシーンを歌うかのように、しっかりアクートされたような声で歌ったとすると、そんなに乱暴に歌ってはいけないといった感じでこの言葉になったのかもしれませんし、静かな曲、もしくは深い内容の曲を歌う時に、発声的には高い音に向かって声帯を薄くする運動を極限まで進めて、声門閉鎖が強すぎないようにといったイメージかと思われます。しかし、シューベルト固有の問題ではありません。どう考えても言葉通りに受け取ってはいけない意見ですが、有名な先生の言葉となると、絶対的な真理だと捉えようとするかもしれません。よく考えることが必要な表現ですし、先生も安易にこのような言い回しをすべきではないとも思います。
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