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詩と詞について~声楽曲23

「詩」「詞」について

 歌の歌詞を指す言葉に「詩」と「詞」の二つの漢字があります。通常詩人が詩を書いて詩集として、また雑誌等に掲載する場合の詩は常に「詩」です。作詞家が曲になることを前提に書くと「詞」になります。同じ発音で漢字だけが違うのですが、とても興味深いことです。日本語以外に似たような違いのある言語は聞いたことがありません。もし他にもあるようでしたら、教えて頂けると助かります。

詩人は曲を付けられることを望んではいない

 作詞家が「詞」を書く場合は「詞」単独で発表されることを前提としていません。場合によっては作曲家と一緒に考えて、一部を書き換えたり、長くしたり、短くしたり等の変更も考えられます。つまり歌が出来るまで共同作業をしていくことになります。さてでは詩人が「詩」を書く場合はどうでしょうか?「詩」は曲がつくことを前提としていません。当然作曲家から一部を変更してほしいと言われることもないし、追加や削除もしません。とにかく「詩」作品としてそれのみで完成することを前提としています。これは詩人が自作の詩に曲を付けられることも必ずしも歓迎していないことを示します。例えばゲーテは自身の詩に曲を付けること自体を嫌がっていたわけではありませんでしたが、民謡のような簡単な有節歌曲以上のものは歓迎しなかったようです。これは十分に理解できます。「詩」はそれ自体で完結していて、それ以外のもので邪魔されたくなかったわけです。曲がつくことによってより世界が広がったとか、より深くなったとなれば、詩としては完成されていなかったということですからね。

詩の解釈について

 歌曲の場合ほとんど「詩」に曲が付けられるのですが、詩人が考えたものと作曲家が考えたものはズレが出てきます。どれだけ深く読み込んでも別の人の視点で見るわけですので、仕方がないことです。これは重要なことで、偉大な作曲家が詩を正しく解釈できていないなど考えられないと思うところもあるかと思いますが、そのようなものではありませんし、常に正しい一つの解釈にたどり着くものばかりだとしたら、詩の深みは薄れてしまうでしょう。一度読んだ詩を数年後に読み直したときに新しい発見があったり、以前とは違うものに感じられることなど良くあることだと思います。そういうものです。そしてそれを演奏するときに演奏者の感覚が混ざります。そうなるとさらに複雑になります。詩を読んだときに感じるもの、曲を通して感じるもの、実際に声にしたときに感じるものなど、それぞれで違ったものを感じることもあります。絶対的に正しい一つの答えがほしくなるところですが、そんなことは不可能です。その時に一番正しいと思ったものを演奏につなげていく事しかできません。それでいいのではないかと思います。そしてまた同じ曲を再び演奏する機会があれば、違う結論になることもあるはずですので、堂々と昔とは違う演奏をすれば良いと思います。

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