Du bist wie eine Blume,
So hold und schön und rein;
Ich schau dich an,und Wehmut
Schleicht mir ins Herz hinein.
Mir ist,als ob ich die Hände
Aufs Haupt dir legen sollt,
Betend,daß Gott dich erhalte
So rein und schön und hold.
君は花のように
とても優しく、美しく、清らかだ。
君を見つめると、切ない思いが
私の心に忍び込んでくる。
私はこの手を
君の頭に掲げ
神に祈りたくなってしまう
君を清らかで、美しく、優しいままでいさせて下さいと。
この曲は歌曲集「ミルテの花」op.25の24曲目です。「ミルテの花」はシューマンがクララとの結婚の年にクララに捧げた曲集です。この曲集についてはまたそのうちに書くことになるかと思いますが、今回はこの曲だけに集中して見てみます。
詩はわかりやすいと思います。とても素敵なあなたが、永遠にそうありますようにと祈っていきます。その中で一カ所Wehmut(悲しみ)という言葉が気 になります。切ないと訳しましたが、Weh(痛い)気持ちというのが元なので、心地いいものとはいえません。しかし、誰もが簡単に想像が出来るでしょう。 恋に痛みはつきものです。たとえどんなに幸せなときであっても。
この曲は2拍子で書かれています。初めて音取りをするときは4拍子で感じることが多いかと思いますが、2拍子で感じると、Langsam(遅く)と書かれていることがしっくりくるでしょう。
冒頭のピアノは両手ともへ音譜表で書かれており、つまり低い音で始まります。そのまま上下を繰り返しながら上行を続け、ピークは15小節目のAsの音に 達します。詩は「祈り」がテーマになっていますが、低いところから高いところに向かうのはまさしく祈りの方向だといえるでしょう。そしてピークのAsの音 はピアノで弾かれるだけで、歌われません。シューマンは時に、一番大切なところ、または話の結末を歌にせず、ピアノに任せてしまうことがあります。歌い手 は当然このAsの歌を歌っているつもりで演奏することが大切です。
しかし、歌は低い音から高い音へと変化していきません。「祈り」の方向はピアノで十分に表現されていますので、歌がさらに同じ表現をする必要はなく、「愛」を歌う主人公の声はやや高めの音で、深いエスプレッシヴォの中で語られていきます。
第1小節目は音が低いだけではなく、変イ長調の主和音が連打され、とても安定した音楽になっています。 この安定感が崩れるところに注目してみます。6小節目でピアノのベースが1拍目の音が無くなってやや不安定になります。また、7小節目では和音(2度調の 属和音)も不安定さを増幅します。ここの部分が前述のWehmut(悲しみ)が歌われる箇所ですので、言葉と音楽が一致していることが分かると思います。
しかしここで一つ問題があります。下の楽譜の1の場所でブレスを取るととても自然なのですが、詩はIch schau dich an(あなたを見つめる)でいったん切れて、und Wehmut schleicht mir(悲しみが私の中にやってくる)と続いていきますので、詩だけ見るとブレスをIch schau dich anの後に入れて(楽譜の2の位置でのブレス)、hineinまで一息で歌った方が良さそうですが、音楽はWehmutとschleichtをつなげなければならない必然性は感じられません。これらを踏まえて、どちらでブレスをとるかを歌い手は選択していくことになります。もちろん全体を一息というのも考えられます。
もう少しこのブレスにこだわってみます。この曲の詩を読んで、やはりWehmutに違和感を感じるべきだともいます。(このような違和感はこの詩、または音楽を考えるときに重要な役割をもっています)ここでの悲しみの原因と考えられるものは、1,自分の思いを彼女は受け入れてくれるだろうか? 2,彼女は自分を愛してくれているのだけれども同じくらいの熱量でそれを感じてくれているだろうか? 3,この幸せが永遠に続くのだろうか? だと思いますが、最後の祈りはこのままを保ってほしいということから、3番が悲しみの元になっていると考えられます。
さてこれらを踏まえて演奏を考えてみます。まずは1番の方が圧倒的に2番よりうたいやすい。つまり自然なブレスになります。では1のブレスの場合。彼女に引き寄せられて見つめてしまいます。するとなぜか分からない「悲しみ」が感じられて、Wehmutを歌いながらそのことに気付くような劇が考えられます。直後に今が永遠でありますようにと祈りを捧げざるを得なくなってしまいます。
では2の場合。彼女を見つめているときにもう既に「悲しみ」を感じているし、その理由も分かっている。つまりとても冷静に捉えているとも言えるでしょう。
演奏の違いは1の場合は躊躇なくWehmutの言葉に入り、歌っている最中に色が変わっていく演奏をします。2の場合はもっと前に分かっていなければならないので、undの瞬間から悲しみを歌う必要が出てきます。どちらが正しいかと言うことよりも、その選択にあった演奏をする必要があります。
ピアノは16分音符を刻み続けていますが、14小節目になってこの刻みがしばらく途絶えます。ずっと流 れていた時が一瞬止まる感じがしますが、神に祈るシーンです。刻みが無くなることで、耳は言葉をよりとらえるようになっていきます。完全にレテタティー ボのようにするとさらに言葉が聞こえてきますが、歌曲としてのまとまりが無くなってしまいます。テンポをあまり変えずに言葉を聞かせたいときによく使われ る方法です。
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