久米音楽工房 声楽、発声、ピアノのレッスン 神奈川県川崎市https://liederabend.net/wp声楽、発声(久米聖一)、ピアノ(武田正子)のレッスン 神奈川県川崎市Thu, 27 Feb 2025 12:15:42 +0000jahourly1https://liederabend.net/wp/wp-content/uploads/2020/10/cropped-kumeongaku-1-32x32.png久米音楽工房 声楽、発声、ピアノのレッスン 神奈川県川崎市https://liederabend.net/wp3232 マスケラで歌う事~発声のしくみ71https://liederabend.net/wp/%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%82%b1%e3%83%a9%e3%81%a7%e6%ad%8c%e3%81%86%e4%ba%8b%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%8f%e3%81%bf71/Thu, 27 Feb 2025 12:12:58 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11741

 イタリア語でレッスンを受けると、マスケラで歌うようにと言った指示が来る事があります。マスケラは仮面の意味です。そして、マスケラで歌うというのは鼻の付け根に響きを感じるという事になります。日本人から考えると、仮面は顔全体 ... ]]>

マスケラとは

 イタリア語でレッスンを受けると、マスケラで歌うようにと言った指示が来る事があります。マスケラは仮面の意味です。そして、マスケラで歌うというのは鼻の付け根に響きを感じるという事になります。日本人から考えると、仮面は顔全体に付けるのに、鼻の付け根だけというのは少し変な気もしますが、仮面舞踏会では目と鼻だけの仮面をよく付けていましたので、イタリア人にとっては鼻の付け根という方が自然なのだと思います。

最初の練習

 このようにあまり聞き馴染んでいない用語が出てくるととても特別な事のように思えるものですが、初心者の歌のレッスンでまず最初に鼻のところに響きを感じてと言われるのと同じことです。ですので、しばらくレッスンを重ねた人がマスケラに音を感じてといった指導をされるとしたら、全く出来ていないという事ではなく、さらに強化しようといった意味合いになります。全く出来ていなければ歌う事がとても困難になりますので。

 マスケラで歌うと言う事はとても基本的な事ですので、レッスンで何も言われなければ、ある程度は最初から出来ているという事になります。出来ていなければ、マスケラという言葉では無いにしろ、何らかの練習が始まります。

マスケラの2種類の見方

 ところでこのマスケラには2つの違った意味があります。1つは位置として鼻の付近の高さにある事。2つめは鼻の付近に音を集めるという事。この2つは似ているように感じられるかもしれませんが、明らかにに違う機能ですので、分けて考える必要があります。

 ある程度声楽の経験のある人は簡単に感じられる事だと思いますが、しゃべるときの声は口から出ているように感じられるのに対して、歌の声はそれよりも高く、鼻の付近に響きを感じられます。そして特別の声楽の経験はなくても、同じように感じる人は多いのではないでしょうか。これは声楽の世界では「喉を開ける」と言っていますが、声帯が良く引き伸ばされたときに感じられる現象です。そしてこの機能は初心者であっても絶対的に必要なものです。これが出来ないと歌うための楽器が出来ていないようなものです。楽器として機能するためにはある程度の音域で音程を自由にそれほど無理をせずに変えられなければならないのですが、それが可能かどうかという事になります。ですので、初心者でもこれに問題がある場合はまず最初にクリアしなければならない問題になります。

 これに対して鼻の付近に音を集めるのは音量の問題になります。声帯が強く閉じられると大きな声が出ます。この時に鼻の付近に音が集まったように感じます。これも大事な事ではありますが、最初にクリアしなければならない問題ではありません。大きな声が出なくても音域が広ければ、歌は歌えます。順番は大切です。

マスケラの練習

 順番は大切です。マスケラの話が出ると、一生懸命鼻の方に音を持っていこうとしますが、声帯が引き伸ばされると自然に鼻の方に響きを感じるようになるのです。マスケラの練習が十分に出来た人はマスケラに音を持っていこうと頑張る事はありません。どんな声を出しても既に音はマスケラにありますので、それ以上にもっとマスケラに持っていこうとする必要などないのです。逆にまだ上手く出来ない人にとって鼻の付近に響きを持っていこうと練習をしたときに上手く行くかどうかはよく分かりません。上手くいかない例としては「鼻にかかった声」になる事が挙げられます。鼻にかかった声はなんとなく想像できるかと思いますが、マスケラに音を持っていこうとして上手くいかないときに、声帯を短くした状態で一生懸命引き伸ばすと浅い薄っぺらな音、しかししっかり音量のある声が出ます。このような声を鼻にかかった声といっていますが、問題がある状態の1つです。ですので本来なら喉の開いた声が出せるようにして、その結果として鼻の付近に響きがあるのかの確認に使うのが一番良いように思います。ただし鼻のところに声を持っていこうとしつつ、先生の声をまねして練習すると、上手くいく事も十分にあります。先生の声があってはじめて成立することもあるので、知識だけでなんとかなるものでもないところもあります。良い発声が出来ているかどうかの確認にマスケラの考え方はとても有効です。

フースラー

 ちなみにフースラーの中ではアンザッツとして表現されていて、マスケラは3番のアンザッツになります。マスケラの2種類を3Aと3Bで表しています。

フースラーのアンザッツ(あたり)の発声での実践~発声のしくみ59

 

]]>
小林秀雄「落葉松」について~声楽曲25https://liederabend.net/wp/%e5%b0%8f%e6%9e%97%e7%a7%80%e9%9b%84%e3%80%8c%e8%90%bd%e8%91%89%e6%9d%be%e3%80%8d%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%ef%bd%9e%e5%a3%b0%e6%a5%bd%e6%9b%b225/Mon, 23 Dec 2024 04:08:19 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11694

 「落葉松」はとても良く演奏される曲です。とてもドラマチックで歌って楽しかったと思ったり、いつか歌ってみたいと思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。今回は詩と音楽の観点からこの曲を見てみます。 落葉松 落葉松の ... ]]>

落葉松の詩

 「落葉松」はとても良く演奏される曲です。とてもドラマチックで歌って楽しかったと思ったり、いつか歌ってみたいと思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。今回は詩と音楽の観点からこの曲を見てみます。

落葉松

落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる

落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる

落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる

落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる

詩・野上彰

詩の特徴

 「落葉松の」「わたしの」から始まる4つの節から出来ています。すべても節が2行とも同じ始まりですので、詩作から考えるととても危険性をはらんでいます。始まりだけではなく終わりも「雨に」「濡れる」が共通して、変化する部分はわずかです。これは単純すぎて、詩作品として成り立たない可能性があります。しかし、逆にどんどん変化する物語と違って、変わらないことを前提により深い世界を提示できる可能性もあります。さて具体的に詩を見てみます。

落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる

 秋の雨、手が濡れると書かれています。この節だけで、多くに人が彼は涙を流していると思うものではないかと思います。雨が降ってきてもし傘を持っていなかったとしたら、まずは頭が濡れる、そして体が濡れることが気になるし、傘があったとしたら、松の葉が敷き詰められた林だと、足下が濡れることが気になります。手が濡れると感じるのは雨が降ってきたかどうかを確かめるときに手を差し出した時くらいですね。ですので、雨によって手が濡れたのではなく、雨の中涙を拭った手が濡れたのだと誰もが感じるでしょうから、直接涙という言葉を使わずに、涙を描いています。なかなか上手いですね。

落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる

 夜の雨、こころが濡れるになります。夜は一番危うい時間です。当面やるべき事は終わって、後は寝るだけの時間にすぐに寝付けない心がざわつくようなことがあれば、それは日中よりも大きく増幅していきます。深い悲しみを持った人はこの時間だからこそ心の深いところから涙があふれる事になるでしょう。

落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる

 陽のある雨、思い出が濡れるになります。陽のある雨という言葉はこの詩以外で聞いたことがありません。狐の嫁入りと言われるような天気雨(空は晴れているのに雨が落ちてくる現象)ではなく、単に昼間の雨と考えた方が良いでしょう。天気雨だと不吉なことが起こる象徴になってしまいますが、そんな必要はありません。ただこれだけシンプルな繰り返しの多い詩で、夜の雨の次に昼の雨にしてしまったら、さすがに詩としてどうかということになると思います。彼の涙の原因は想像するしか出来ませんが、例えば大切な人を失ったとしたら、昼の明るさがある雨の日にその人との素敵な思い出が浮かんでくると言うことが想像できます。とても素敵な思い出でもそれは涙で濡れてしまいます。

落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる

 小鳥の雨、乾いた眼が濡れるに変わります。小鳥の雨という言葉もこの詩以外では聞いたことがありません。雨が強い最中小鳥の声が聞こえることはありませんが、もうすぐ止むとなると、まだ少し雨が降っていても小鳥の声が聞こえてきます。小鳥はもう雨の終わりを感じていて、次に向かって行動を開始します。乾いた眼が濡れるというのも詩的な表現ですが、容易に意味を想像することが出来ると思います。何度も何度も涙を流し、もう枯れ果てるほどに十分に悲しんだ後、小鳥が次に向かって活動を始めるように、彼も動き出さなくてはならないのでしょうが、それでもまた涙が出てきてしまいます。彼の悲しみの終焉に近い様子だと思われます。終焉は解決という事ではなく、受け入れられたという事だと思います。ここに至るまでにとても長い時間がかかる事もありますね。

詩全体を読んで

 とても悲しい出来事があったときに、その直後少し時間がたったとき、さらに長い時間がたったときとで詩は変わってきます。この詩のようにとてもしっかりとした形式があるものは時間がたったときの特徴でもあります。詩を良く見てみるとこれら4つの節はすべて別の日で、彼の悲しみの涙をとても冷静に、とても繊細に見つめているものだと言えると思います。ここで小林秀雄さんの曲を見ると、前奏から3連符の連打が続いてとても熱い感情が描かれていて、この感情はいつか大きく爆発するだろうという予感を感じせます。そしてこのまま陽のある雨のやさしい思い出に浸る部分で爆発し、さらにそろそろ終焉に向かうだろう小鳥の雨のシーンでピークを迎えるのはどうもずれがあります。日本における西洋音楽の歴史の進展に大きく携わってくださった大先輩ではありますが、この曲は詩を正しく反映させてはいないのだと思います。

詩と音楽

 作曲家は詩のすべてを理解して曲を書いていると思いがちですが、この曲にかかわらず色々な曲でずれが見つかります。解釈の間違いだけではなく、有節歌曲(1番、2番がある曲)では正しく解釈できていてもすべての詩にぴったり合うような作曲は出来ません。歌曲の歴史を見ていくと、有節歌曲は徐々に減っていき、通作歌曲(1番、2番がない曲)が増えていきますが、当然の流れだと言えます。だからといって、有節歌曲や詩の解釈に問題がある曲は演奏に値しないわけではありません。「落葉松」を聴いて感動したり、とても好きだと思う方も多いと思います。この曲が持っている魅力が伝わってきたのだと思います。

まとめ

 今回の話とは逆に、詩には表せていなかった、より深いものを音楽が表現していて、詩のみで表現されているものをもっと優れたものに変えてくれた曲もあります。どちらにしろ詩と音楽のずれは頻繁に見つけられます。ですので、より詩に注目するとき、より音楽に注目したときで演奏は変わってきます。最終的な表現は一つの正解にたどり着くのではなく、様々な正解があるという事なのでしょう。

]]>
ベルヌーイの定理と発声~発声のしくみ70https://liederabend.net/wp/%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%8c%e3%83%bc%e3%82%a4%e3%81%ae%e5%ae%9a%e7%90%86%e3%81%a8%e7%99%ba%e5%a3%b0%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%8f%e3%81%bf70/Thu, 19 Dec 2024 12:48:18 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11715

 先日生徒さんと話をしていて、声帯が閉じる働きはベルヌーイの定理と関係があるのではないかという説があると聞きましたので、少し考えてみます。ベルヌーイの定理は何かという話から入ります。あまり詳しくはないのですが、ネットで調 ... ]]>

ベルヌーイの定理とは

 先日生徒さんと話をしていて、声帯が閉じる働きはベルヌーイの定理と関係があるのではないかという説があると聞きましたので、少し考えてみます。ベルヌーイの定理は何かという話から入ります。あまり詳しくはないのですが、ネットで調べたところ次のようなもののようです。2枚の短い短冊状の紙をほんの少し隙間が空くようにして向かい合わせにして口の前につるします。そしてその隙間に息を吹きかけるとこの短冊状の紙が引き寄せられるといった現象です。紙の間に息を吹きかけたときに紙に一番近い空気は紙に引っ張られて遅く動きます。そのため紙の中央付近の空気は早く流れます。その結果中央の圧力が下がり、紙は引き寄せられるといったものです。この説明で分かるでしょうか。(ベルヌーイの定理で検索すると、動画等もあると思います。)

真偽を考える

 このしくみのみで声帯の閉鎖が行われるのだとすれば、声帯を閉じるために全く力を加える必要はないという事になります。脱力が何よりも大切なんだという考えに基づくと、とても素敵な理論になります。声帯の間にきれいに息を通す事さえ出来れば、自然に声帯は閉じられるので、究極の脱力が出来そうです。しかしおそらくこの定理と声帯の閉鎖は全く関係がないか、ほんのわずかしか関係がないと思われます。しかし、関係がないとはっきり言えるような証拠は持っていません。科学者であれば疑わしいものであってもそれを実験等を経て実証すべきですが、私たちにはそのような事は出来ません。今ある情報で考えていくしかないので考えてみます。

発声器官とベルヌーイの定理の矛盾

 まず、ベルヌーイの定理では2枚の紙の間の圧力が下がり、紙の外側の圧力に押されてくっつく事になります。薄い紙、もしくはとても軽いものという条件がつきます。実際に声帯の間を息が流れる事によって、2本の声帯靱帯の間の圧力が下がったとします。しかしこの声帯靱帯の外側にはしっかりとした声帯筋(図では声唇)がついています。気圧で押されてくっつくとしたら声帯筋がとても邪魔です。

 さらに、ベルヌーイの定理で容易に声帯が閉じるとしたら、通常の呼吸で声帯が閉じてしまって苦しくなる事が起こりえます。通常の呼吸では隙間が大きすぎてこの現象は起こらなかったとしても、声帯を近づけて呼吸する事は可能ですが、それでもたまに声帯が閉じてしまうといった事は起こりません。

 もう一つ、声帯の閉鎖がベルヌーイの定理によるとしたら、最初にほんの少し息だけの時間が必要になります。息が動き出してもすぐには音にならないという事ですが、良い発声が出来ていると最初に息が聞こえる事はありません。とても短い時間で聞き取れないだけなのかもしれませんが、紙を近づけた実験でもはっきりと紙の動きが分かるくらい時間がかかります。息から音になるのに同じくらい時間がかかるのであれば、聞き取れるはずです。

まとめ

 このような話が出てくるのは脱力がとても大切なんだという事からだと思われます。大きな声や高い声を出すのに力がいらないわけはありませんが、いろんな発声に必要な筋肉が無駄なくつながって動くようになると、思ったよりも楽に声を出す事が出来ます。つまり、脱力できたように感じてしまうのですが、脱力ではなく、効率よく声帯を引き伸ばしたり、声帯を閉じたり出来るようになっただけの事です。発声の歴史はとても長いです。その中で効果的な練習は残り、そうでないものはなくなってきました。新しい考え方が出てきて、それが魅力的に感じられると飛びつきたくなりますが、そのような事はめったにないのかもしれません。

]]>
横隔膜が正しく使われているときに起こる反応~呼吸法37https://liederabend.net/wp/%e6%a8%aa%e9%9a%94%e8%86%9c%e3%81%8c%e6%ad%a3%e3%81%97%e3%81%8f%e4%bd%bf%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%8d%e3%81%ab%e8%b5%b7%e3%81%93%e3%82%8b%e5%8f%8d%e5%bf%9c%ef%bd%9e/Thu, 19 Dec 2024 09:42:21 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11710

 横隔膜の事については色々なところで何度も書いていますが、今回は横隔膜が正しく使われたときに起こる現象を見ていきます。お腹に力を入れて声を出そうというのは、歌に限らずよく使われる表現です。お腹に力を入れると声帯をしっかり ... ]]>

横隔膜

 横隔膜の事については色々なところで何度も書いていますが、今回は横隔膜が正しく使われたときに起こる現象を見ていきます。お腹に力を入れて声を出そうというのは、歌に限らずよく使われる表現です。お腹に力を入れると声帯をしっかり閉じる事が出来るからです。声を出すために声帯がどういう状態になった方が良いのかは、色々な要素がありますが、とりあえず、声帯が閉じなければ声は出ません。何らかの原因で声帯が閉じなくなってしまえば、どんなに優れた歌手であっても、役者であっても、いっさい声を出す事は出来ません。喉声にならないようにとか、喉に力を入れないようにとか言われたりもしますが、声帯が閉じなければ全く声は出ませんので、無理した声の方が閉じなくなった声帯よりもずっと良いのです。

横隔膜が使われると同時に起こる事

 どんなに小さな声でも横隔膜の運動と声帯の閉鎖は連動しますので、全く横隔膜を使っていない声は存在しないのですが、問題は力強く結びついていないと実感しづらいところです。一番わかりやすい例が、重い荷物を持ち上げるときです。当然お腹に力が入ります。このときに声帯が無意識に閉じられるのを感じる事が出来ます。声が出る事もあると思います。これがお腹から声を出すという事なので、本当は全く難しいものではありません。いつも使っているものなのですが、本当にお腹から声が出ているのかと考えてしまう事もあるかもしれません。ですので、お腹に力が入ると声帯が閉じるという反応以外に、この時に起こる現象を見てみます。

横隔膜の収縮と広がり

 声帯を閉じるために横隔膜が強く働くと、横隔膜の中央に集まるような力を感じます。しかし、中央に集まるだけだと、集まりきった時点で限界が来て、これ以上は無理だと思える状態になります。そうならないように横隔膜の円周は広がり続けようとします。これが同時に起こるので、息のある限り永遠に力を入れ続ける事が出来るのです。

久米音楽工房
久米音楽工房

横隔膜はトランポリンのように真ん中に集まりながら外に広がりを感じるのですが、間違った考え方として、息を吸うときにはお腹が広がって、声を出すときにしぼんでいくような呼吸をすべきとか、逆に息を吸ってお腹が広がったら、それがしぼんでいかないように広がったものを保つべきだとかの考え方が出てきます。片方の運動にのみこだわった結果です。どちらも間違っていますので、お腹が広がるとかしぼむとかは忘れた方が良いです。

上下の運動

 横隔膜が使われるときにもう一つ違う方向に力を感じます。横隔膜の中央が少し沈む運動です。つまり横隔膜の中央は集まりながら沈み込んでいきます。汚い話で申し訳ありませんが、先ほどの重いものを持ち上げるときと同じようなお腹の使い方が排便の時です。息を止めて力を入れると、下向きに力が加わるので、腸を圧迫して排便につながるわけです。横隔膜が弱くなると、声帯が閉じなくなり、声がかすれて、排便にも支障を来すようになっていきます。そしてこの下向きの運動も下に行くだけならばある時点で限界を迎え、これ以上は進まなくなりますが、ここでも反対の力が入ります。上向きの力です。この上向きの力は横隔膜と喉が離れようとするような力です。猫背から背筋を伸ばした姿勢にするときにお腹と喉が離れる方向に力が入るのが分かると思います。先ほどの横隔膜の中央と円周の運動のように、下向きと上向きの力が拮抗するために、息がある限り永遠とこと運動を続ける事が出来ます。

久米音楽工房
久米音楽工房

背筋を伸ばして良い姿勢で歌いましょうと言われる事もありますが、一理あります。ただし、横隔膜の下向きの運動に対する反対の運動ですので、あくまでも2次的なものです。背筋を伸ばせば良い声になるといったものではありません。

 正しく横隔膜が使われているときに同時に起こる運動をまとめてみました。ただしお腹付近で感じられるものだけで、その結果声帯に何が起こるのかは書いていません。ただこれらの運動が理解できれば、横隔膜について迷う事はなくなると思います。

おまけ。練習のアイディア

 風邪を引いたときなど声帯を痛めていると、普通の発声は難しくなります。声帯の閉鎖を緩めてしまうと、息が多量に流れて、喉が乾燥してしまいます。だからといって横隔膜をしっかり収縮させて閉鎖を強くすると、振動の強さに喉は負けてしまいます。この時に横隔膜を広げようとしながら発声する事を取り入れる事があります。先ほどは横隔膜の収縮に対して、円周は広がると書きましたが、逆も起こります。横隔膜を広げようとすると中央に集まろうとする力が働きます。順番だけの話ですが、このようにすると、ほど良い声帯の閉鎖が起こり、息漏れもせず、声帯が強く振動しすぎもせず、ほど良い声を作る事が出来ます。発声の全体像が分かっていると、色々な発想が浮かんできます。

]]>
第24回Lindenbaum演奏会2024https://liederabend.net/wp/%e7%ac%ac24%e5%9b%9elindenbaum%e6%bc%94%e5%a5%8f%e4%bc%9a2024/Sat, 23 Nov 2024 00:06:34 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11699

 久米聖一門下会の声楽演奏会を2024年12月15日(日)に溝の口の糀ホールで開催いたします。出演者一同この日に向けて研鑽を積んで参りました。熱意の伝わるコンサートになるのではないかと思っております。入場無料ですので、お ... ]]>

 久米聖一門下会の声楽演奏会を2024年12月15日(日)に溝の口の糀ホールで開催いたします。出演者一同この日に向けて研鑽を積んで参りました。熱意の伝わるコンサートになるのではないかと思っております。入場無料ですので、お気軽にお立ち寄りください。下記のリンクにチラシ掲載しております。詳細はそちらでご確認ください。

第24回Lindenbaum演奏会2024

]]>
のどで歌ってしまっている~発声の考え方7https://liederabend.net/wp/%e3%81%ae%e3%81%a9%e3%81%a7%e6%ad%8c%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e8%80%83%e3%81%88%e6%96%b97/Tue, 01 Oct 2024 11:52:25 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11689

 良くない発声として、のどで歌ってしまっていると言われることがあります。とても変な表現です。のどで歌わない声はどんなものかと聞きたくなります。言葉としては当然間違っていますが、無視してしまうだけだと何も生まれないので、少 ... ]]>

のどで歌っている

 良くない発声として、のどで歌ってしまっていると言われることがあります。とても変な表現です。のどで歌わない声はどんなものかと聞きたくなります。言葉としては当然間違っていますが、無視してしまうだけだと何も生まれないので、少し考えてみます。

マラソンと野球の例

 オリンピックのマラソンを見ていたときに、足で走っていますね。と解説されていたのを聞いたことがあるし、野球でピッチャーが投げるときにも腕で投げてしまっていますね。と言われることもありますので、歌に限ったことではありません。当然マラソンで足以外で走ることは出来ないし、ピッチャーは腕を使わずにボールを投げることは出来ません。これらの共通点は、声では声を作る一番最後の部分、声帯に無理がかかっているということだし、マラソンや野球の例でも、一番最後の一番効果を生み出す部分に負荷がかかりすぎていることを指します。暗黙の了解でこのことを理解しているので、あまり違和感を感じずにこの変な表現を受け入れているわけです。

解決策

 表現はおかしいのですが、良くない状態ではあるので解決策を考えていきます。マラソンの例で考えると、足を使うことが悪いのではなく、足を動かすためにもっと遠くにある筋肉がしっかりと使われなければならない。という意味だと考えられます。声でも同じことで、声帯を使わないようにするのではなく、外喉頭筋やお腹や背中の筋肉などが声帯の動きを助けるように働く必要があります。まずは決して声帯を使わないようにするのではないということをはっきりさせる必要があります。声は声帯の閉鎖と伸展のバランスで作られますので、それらをのどの中だけではなく、遠くにある筋肉が手伝ってくれる状況にしていく必要があるということです。

お腹に力を入れる

 のどで歌ってしまっていると言うときに、そうならないようにお腹をしっかり使うようにと指示されることもあります。間違いではありませんが、お腹に力を入れてみたらもっと違和感を感じてしまうこともよくあります。難しいところです。お腹に力を入れることが声帯の閉鎖を補助してくれて、声帯筋に過度に力を入れなくても強い閉鎖が出来れば成功なのですが、この連動が機能しないとお腹に力を入れることが体の他の部分にも硬直として伝わり、声帯周辺にも柔軟性がなくなると、より不自由な声になることもあります。

結論

 のどで歌っていると言われたり、感じたりするときにのどを使わないようにすることではないということがまず第一です。さらに声帯の閉鎖に関して声帯近くの筋肉に頼りすぎているので、遠くの筋肉がそれを助けてくれるように練習をしていく必要があります。主に横隔膜ということになりますが、むやみに力を入れると硬直がのどに伝わり、かえって逆効果になります。少し横隔膜が収縮すると、その分声帯の閉鎖が起こりますので、この少しの変化をつかむことが出来れば解決に向かいます。

のど声

 似たような表現にのど声と言われるものがありますが、これは声帯の閉鎖が強くて声帯の伸展が十分ではないときに使われますので、少し違います。言葉の本来の意味を考えても何の役にも立ちませんので、どのようにこれらの言葉が使われているのかを考える必要があります。ですので、のどで歌うということ、もしくはのど声がどのような状態かよく分からない人に、のどで歌ってしまっているよ、とかのど声になっているよと言っても何の助けにもならないので、あまり使うべき言葉ではないのでしょうね。レッスンの中で私がこのような表現をすることは全くありません。

]]>
共鳴について科学的に考える~発声のしくみ69https://liederabend.net/wp/%e5%85%b1%e9%b3%b4%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e7%a7%91%e5%ad%a6%e7%9a%84%e3%81%ab%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%8f%e3%81%bf69/Mon, 23 Sep 2024 14:55:02 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11680

 共鳴に関して他の記事でも書いていますが、今回はもう少し違う視点で書いてみます。最初に少しややこしい話をします。発声には関係のない事なので、この部分を飛ばして次の章から読んでもらっても良いのですが、物事を考えるときに重要 ... ]]>

「共鳴」の定義

 共鳴に関して他の記事でも書いていますが、今回はもう少し違う視点で書いてみます。最初に少しややこしい話をします。発声には関係のない事なので、この部分を飛ばして次の章から読んでもらっても良いのですが、物事を考えるときに重要なことでもありますので、読んでいただければとも思います。「共鳴」のように、誰もがはっきりと共通認識をもてないようなものに関しては、まず言葉の定義が必要になります。物理学的に共鳴はどのように定義されているのか少し調べたのですが、ネットで調べただけですが、明確な定義は分かりませんでした。主に2つの現象について共鳴という言葉を使ってありました。一つは同じ大きさの音叉を2つ用意して一つを叩いて音を出すと、叩いていないもう一つの音叉からも音が出る現象。もう一つは音が生まれると空気の振動と共に空気中を伝わっていき壁にぶつかると反射します。その反射した音の波と元々の音の波が重なることにより増幅される現象。最初の例だともう一つの声帯、もしくはそれの代わりになる振動体が必要になりますので、今回は無視します。次の例だと同じ周波数で波の干渉が起こる事にのみ触れていますが、反射が繰り返されることが声の響きにつながることもあるようにも思えますので、良い声を作ることに関しては少し足りない気もします。ですので、科学的に考えると題を付けましたが、声帯で作られた声が増幅されたり、響きが増えたりする現象をまとめて共鳴という言葉で書いていきます。本来の言葉の定義と違うかもしれませんが、ご容赦ください。

ホールの響きについて

 音楽ホールのような良く響く空間をまずは考えてみます。この正反対の場所は何もない広い空間、単純に建物などが近くにない外で歌うことになります。(無音室という空間があって、そこの壁はすべての音を吸収し反射が全く起こらない場所です。外で歌うと書きましたが、地面はあるし、完全に響きのない場所は無音室になります)良く響くホールに必要なものは固い壁です。音が発せられると秒速340mで進みます。とても速いですので、音はすぐに壁にぶつかり反射します。またその音も次の壁にぶつかり反射を繰り返しますので、完全に音がなくなるまではホールに響き続けることになります。音響の良いホールでは残響時間は2秒くらいに設計されます。もちろんもっと固い壁で反射してもなかなか音が減退しないような建物ではさらに残響時間は長くなります。石造りの教会などでは残響はとても長いので、速い曲などでは音の粒が聞き取れないほどになります。

声の共鳴

 ここで発声を考えます。共鳴に関して声楽家が出来ることは何かということを考えてみます。ホールと同じように固い壁が必要になります。これは骨です。骨がしっかりしていて、そこに付いている筋肉等の組織が薄いところほど音の反射が多くなります。鼻腔共鳴が取り上げられるのはこの条件に合っているからです。口の中も空間を作れますが、上顎での反射はあっても舌は多分に吸音してしまうので、あまり役には立たないということになります。これは好都合でもあり、母音の種類により、口の中の形は頻繁に変えられますが、共鳴に関してはあまり影響を受けないので、ある母音はよく響いたり、別の母音は響かなかったりということがなくなります。こう考えると硬い骨で囲まれた空間でメインの共鳴は行われるし、さらに堅くするなども出来ないので、声楽家は共鳴に関して出来ることはほとんどないと考えた方が良いように思います。気管自体は多少堅い素材で出来ているのではないかと思いますが、良くは分かりません。ごめんなさい。おそらく音の反射は起こっていると思います。ただ同じようにさらに堅くなどは出来ませんので、やはり同じようにコントロールは出来ないと考えた方が良いかと思います。

ホールで良い響きをつくること

 またホールの話に戻ります。ホールでもっと響く声にしたい場合は壁の素材をもっと堅いものに変えれば良いわけですが、当然そんなことは出来ません。もしそれが出来たとしても、音はより大きくなり、残響時間は長くなりますが、良い音とは言えません。ホールで歌うときに声楽家が出来ることはより美しい声を出すことだけです。汚い声はホールで響かないかというとそんなことはありません。汚い声であっても声は壁にぶつかって反射を繰り返しますので、汚い声が増幅して聞こえてきます。つまり声楽家が出来ることは美しい声を出すことだけだということになります。当然の結論ですが、大切なことです。

良い響きの声

 これをまた発声に変えて考えると、きれいな声帯の振動を作ることのみが共鳴を最大限に生かせる方法になります。声帯が必要十分に伸展されていて、ほど良くムラなく閉鎖があり、決して多すぎない息の安定した流れで声帯の振動を作れれば、理想的な共鳴は自然に作られるということになります。共鳴腔を広げようと考えすぎない方が良いと他のところでも書いていますが、広げようとする感覚が声帯の閉鎖を弱くして、これにより閉鎖の反動として起こる声帯の伸展も不十分になり、声門の隙間が多すぎるために多くの息を流さざるを得なくなることがあります。共鳴腔を広げようとして、結果音がざらついてきたり、息っぽくなったり、音程が定まりにくくなったり等の現象があれば、空間を広げることを忘れた方が良いです。

おまけ。言葉の定義について

 余談になりますが、独裁主義と民主主義という言葉がありますが、割と定義しやすいと思います。独裁なんて怖い、民主主義の方が良いとほとんどの人が考えると思いますが、そうでもないところがあります。民主主義の欠点としては民意が一つになるときは良いかもしれませんが、対立するときは多数決で決める事にあります。少数の意見は無視されることになってしまいます。そして独裁主義はとても悲惨になることが多いのですが、もし本当にすばらしい政治家がいたとして、独裁的ではあっても一番良い方法で政治が進められれば理想的ではあります。ただ実現しそうな予感はあまりしません。それぞれに良いところ悪いところがありますので、日本をはじめほとんどの国では民主主義的なところに独裁主義的な部分を少し混ぜながら政治は進められています。

 これに対して、資本主義と社会主義、もしくは共産主義という言葉は定義することがとても困難です。これらに関しては調べて見ても明確な定義はなかなか見つかりません。とりあえず経済のシステムであることは明確なようです。素人目に見て定義づけをしてみると、完全な自由経済が究極の資本主義、現代でこれを行うとどうしてもほんの少しの勝者と大多数の敗者に分かれてしまいます。こうなると社会は不安定になりますし、第一とても不幸になります。そこで、例えば累進課税のようなものを導入して、収入の多い人からは税金をたくさん徴収する、逆に収入の少ない人からは少ししか徴収しない、さらに仕事がない人には支給するといったコントロールをすることが社会主義的なもの。そしてその究極の形が、全員の給料を最初から同じにしようとすることになりますが、これが共産主義になります。しかし当然こうなると働く意欲が減少して、国全体が貧しくなってしまいます。このような定義が考えられますが、確信はありませんし、今のところ正確な定義をしたものを見つけることが出来ません。本来ならばこれらの定義を決めて、議論した方が効率的に物事は進むはずですが、曖昧にしたままの方が、政治家ではなく政治屋(お金儲けのために政治を利用する人)にとっては好都合なのかもしれません。

 

]]>
横隔膜を使って歌うということ~呼吸法36https://liederabend.net/wp/%e6%a8%aa%e9%9a%94%e8%86%9c%e3%82%92%e4%bd%bf%e3%81%a3%e3%81%a6%e6%ad%8c%e3%81%86%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8%ef%bd%9e%e5%91%bc%e5%90%b8%e6%b3%9536/Thu, 19 Sep 2024 12:10:04 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11675

 横隔膜は基本的に二つの違った方向があり、それぞれが声帯に対して違った大切な役割を果たします。今回はその中でお腹から声を出してと言われるときのことについて書いていきます。よく「君の声はお腹を使っていない」「腹式呼吸が全然 ... ]]>

横隔膜を使っていない声は存在しない

 横隔膜は基本的に二つの違った方向があり、それぞれが声帯に対して違った大切な役割を果たします。今回はその中でお腹から声を出してと言われるときのことについて書いていきます。よく「君の声はお腹を使っていない」「腹式呼吸が全然出来ていない」等と言われることがありますが、これはうそです。どんな声でも横隔膜は使われています。全く使われない声など有り得ませんので、使えているのか使えていないのかの二元論は忘れてしまった方がよいです。しかし上手に横隔膜を使えるかどうかということについては違いがあります。無駄のない状態で力強く横隔膜が使えると、圧倒されるようなフォルテが出るし、繊細に使えると細やかな表現が出来ます。

横隔膜と声門閉鎖

 声はすべて声帯の張力と閉鎖のバランスによって作られます。発声に必要なものはこのことにどんな影響があるかで良し悪しが決まります。今回取り上げている横隔膜の運動は声帯の閉鎖に関係します。横隔膜に力が入ると声帯が閉じるのはわかりやすいと思います。重いものを持ち上げるときに横隔膜に力が入りますが、この時に息が止まります。声帯が閉じるからです。この原理ですので、何も難しくありませんし、誰もがすぐに出来ることです。先ほど書いた、全く横隔膜を使っていない声など存在しないし、特別な訓練をしないと横隔膜を使っては歌えない、ということはないと分かってもらえるかと思います。ただそれがとても良い状態かと言われると難しくなります。

真ん中に集まりながら、沈む

 この時の横隔膜の運動の方向は真ん中に集まりながら、下に沈む感じです。こうなると背が縮む方に力を加えることになりそうです。横隔膜の練習の時に中腰になるように、膝が曲がる方向に力を入れようとすることがあるかと思いますが、こうなると上手くいきません。もちろんこの時も横隔膜の中央に力が集まり、声帯の閉鎖は強くなります。少し大きな声になりますが、音程が下がりやすいし、ざらついた声になります。声帯は閉じているのになぜだめなのかというと、この方向では声帯の張力が著しく弱くなるからです。少し遠いたとえで申し訳ありませんが、ギターの弦を緩めた状態で強く引いた弾いた感じです。ある程度強い音になりますが、汚い音になります。

背が伸びる方向

 逆に背が伸びる方向で考えてみます。手を上げながら伸びをすると、先ほどと逆に背が伸びる方向に運動が起こります。この時にも横隔膜の中央か集まりながら沈むのを感じられます。論理的に考えるだけだと浮かばない発想ですが、確かにお腹の真ん中では集まりながら沈む力を感じられます。そしてこの時、声帯が伸ばされる力も同時に感じられます。これが上手く行くと良い状態で横隔膜を使うことが出来ていきます。発声の時間に手を上げながら声を出しましょうと言われたら、この効果を狙ってのことだと考えてください。

横隔膜と喉が離れる感じ

 実際に演奏の中で効率よく横隔膜を使っていると、横隔膜と喉はやや離れていくように感じられます。お腹の中央は下向きに力を感じつつ、体は少し伸びていく感じです。割と共通した声楽家が歌っているときのフォームになります。声帯の閉鎖と伸展が同時に使えないと声にならないのが、発声の難しいところです。

お腹を使って脱力

 またお腹を使うと喉の力が抜けるという表現もされますが、これも正しくありません。横隔膜が働くと喉が強く閉鎖します。つまり、しっかりと喉に力が入るのです。ですので、これ以上に無理をして力を加えなくても良くなり、少し楽に感じるというだけなのです。文字通りにお腹に力を入れているにもかかわらず、喉に力が入らないように頑張ると、声帯の閉鎖との連動が取れずに、無駄な練習をすることになります。脱力を教えるのは実はとても難しい事なのです。正しく力を入れることにより、無駄な力を入れずに済んだという方向に仕向ける必要があります。しかし、脱力が大切なんだと信じ込んでいる人にこのことを分かってもらうのは結構時間のかかる作業になります。根拠のない思い込みはその人の可能性の邪魔していきます。柔軟性が大切なのかもしれませんね。

]]>
専門家のコメント~音楽について72https://liederabend.net/wp/%e5%b0%82%e9%96%80%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88%ef%bd%9e%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a672/Tue, 17 Sep 2024 10:48:43 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11633

 人前で演奏をすると色々な人から演奏に関するコメントをもらうことがあります。友だちや家族のこともあり、コンクールやイベント等で音楽の専門家がいらっしゃっているときには専門家からのコメントをもらえることもあります。一般の方 ... ]]>

演奏の評価

 人前で演奏をすると色々な人から演奏に関するコメントをもらうことがあります。友だちや家族のこともあり、コンクールやイベント等で音楽の専門家がいらっしゃっているときには専門家からのコメントをもらえることもあります。一般の方からのでも専門家のものでも、コメントがとても良く作用するときと、逆に邪魔をしてしまうときがあります。今回はコメントを伝えるときと受け取るときに分けて、それぞれ考えてみようと思います。

コメントを伝えること

 まずはコメントを伝えることから。知り合いの演奏会に行ったときには何かしらの感想を聞かれるだろうし、伝えた方が良いと思います。ただ、なかなか難しい事でもあります。基本的には良かったところとこれからの課題になるところを伝えられると良いのですが、そんなに的確に分かるものでもないし、でも、今後の役に立つような一言が言えればとも考えます。もちろん伝えたいことがあれば、正しいか正しくないかなどはっきり分かるものではありませんので、とりあえず伝えた方が良いと思いますが、何を伝えたら良いか分からないときには、ぜひ良かったところのみを伝えてあげられればと思います。例えば9割褒めてあっても1割課題を伝えられると、演奏者は課題だけが大きく頭に残ることがあります。そしてその課題は正しかったとしても、今取り組むべき事でははなく、後回しにする方が良いとか、他の課題に取り組むことで自然に解消されるものだったりすることもあります。課題を伝えることは本当はとても難しいのです。それに比べて、褒めてもらったことは何の害も及ぼすことはありませんし、また次に向かって頑張ろうというエネルギーになります。

よかったところに注目

 良い部分を伝えたいと思っても何を言えば良いか迷うかもしれませんが、これは何でもかまいません。何の害もないのですから、簡単です。衣装が良かったとか。出てくるときの雰囲気が良かったとか。音が伸びやかできれいだったとか。ピアノとのやりとりが素敵だったとか。感動したとか。何でも良いのです。さらに良いところを探そうと思って演奏を聴くのもとても良いことです。課題を伝えなければと思うと、あら探しをするような聞き方になってしまいます。せっかくの演奏の素敵な部分を聞き逃してしまいます。

コメントをもらうこと

 ではコメントをもらう場合です。先ほども書いたように、たくさん褒めてもらってもほんの少し出てきた課題に注目をしがちです。まずは褒めてあるものをしっかり受け止めるようにしましょう。コンサートで最後まで演奏しきっただけですごいことです。それを聴いた人が、しっかり声が出てたとか、気持ちが伝わってきたとかいってくれたとしたら、最後まで演奏出来た以上のものが伝わったとそのまま受け取ってしまいましょう。問題は課題として受け取った意見です。完全無視ももったいないので、ゆっくり考えた方が良いです。課題なんてどこまで行ってもいくらでも出てきます。プロの演奏家でも同じです。その課題は的確なのか、そして今考えるべき事なのかなどの分析が必要になります。

専門家からのコメント

 生徒さんがコンクールや音楽祭などで演奏したときに専門家からコメントをもらったと見せてくれることがあります。とても的確に書かれているものも、どうかなと思うものもありますが、見せてもらったら、そのコメントの翻訳をします。もちろん日本語で書かれていますので、翻訳というのは変ですが、先生の真意を伝えるということです。いくつか例を挙げてみます。

口を大きく開ける

 もう少し口を大きく開けた方が良いと書かれていたとします。これは本当に大きく口を開ければならないということではありません。喉が開いていない(声帯が適度に引き伸ばされていない)という時か、言葉が明瞭ではないということしか考えられません。本当に口を大きく開けることが必要なわけではないということです。もし本当に口を大きく開ける練習をしても喉が変わらなかったら、次に同じ先生から、口の開けすぎという指摘をもらうことになるでしょう。

お腹を使う

 もっとお腹を使って歌えると良い、とあった場合は、一つは声門の閉鎖が足りないということ、この場合は声が小さくなりますので、もっと大きな声で歌うことが必要になります。もう一つは声帯はしっかり閉じていて声量もあるのだけれども、喉に近い筋肉に頼りすぎの場合。この時には喉が十分に開いていないと表現されることの方が多いですが、お腹がつかえていないと表現されることもあります。さらにもう一つ考えられるのが表情が少ないときですが、この時はお腹は繊細に動く必要がありますので、単純にお腹を使うと表現されることは少ないです。

そば鳴り、または音を飛ばす

 そば鳴りしている、遠くに音を飛ばすように、息に乗せて等もよく指摘されますが、これらはほぼ同じ意味です。単純にいうと喉が十分に開いていないということです。声は中心の周波数だけではなく、その他の周波数の音を同時に出しています。そしてそれらが多すぎると汚い声になり、少ないときれいな音になります。喉が十分に開いていないと雑音が多くなり、そば鳴りをしていると感じられます。喉から出た声はホールの壁にぶつかり反射を繰り返し、それらの音が増幅してよく響くわけですが、たくさんの周波数の音が出ているときれいに増幅されないので、そば鳴りをした、遠くに届かない音に感じられます。しかし実際には汚い声も声帯の閉鎖がしっかりしていると、遠くでもはっきり聞こえます。これに対して閉鎖が悪いと振動が弱くなりますので、あまり聞こえない声になります。またこの時に注意しなければならないのが、音を飛ばすのだからたくさんの息を吐かなくてはいけないと思いやすいのですが、そうするとますます声帯は不規則な振動をして、雑音の多い声になってしまい逆効果になります。音がよく飛ぶことと息の量は全く関係がありません。

子音を立てる

 子音をもっと立ててという指摘もとてもよく見かけます。ここでは一つ重要なことがあります。声やリズムや音程などの基礎的な音楽、表現等に大きな問題があるときには子音をもっと立てて等書くことはありません。他が良かったので、それ以上に良い演奏にするために一歩進んだアドヴァイスとして発音についての指摘があったということになります。例えば苦しそうに聞こえたときに、子音をもっと等の指摘をするよりも、苦しくないようにどうしたらよいかということを書きます。言葉がはっきりと聞こえないときによく子音を立ててと言われますが、母音に問題があることの方が多いです。音は必ず母音を中心に作られますので、子音を立ててと書かれたとしても、まずは母音をしっかりさせることがより効果的であることもあります。次は強く聞こえるべき子音を考えます。他の子音を犠牲にしても聞こえるべき子音をはっきりと発音していきます。ここで子音をはっきり発音しようとしすぎたときの弊害も書いておきます。どうしても子音の発音が優先されますので、母音がぼやけやすくなります。そして音楽があちこちで立ち止まって流れがなくなることもあります。母音を中心に練習をすると音楽の流れが確保されます。その中で必要な子音のみはっきりと発音されると、それだけで十分に言葉は伝わります。

]]>
イの母音もしくは横に引っ張る力~練習の目標35https://liederabend.net/wp/%e3%82%a4%e3%81%ae%e6%af%8d%e9%9f%b3%e3%82%82%e3%81%97%e3%81%8f%e3%81%af%e6%a8%aa%e3%81%ab%e5%bc%95%e3%81%a3%e5%bc%b5%e3%82%8b%e5%8a%9b%ef%bd%9e%e7%b7%b4%e7%bf%92%e3%81%ae%e7%9b%ae%e6%a8%9935/Sun, 08 Sep 2024 11:47:41 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11659

 発声は声帯を引き伸ばす力と声帯を閉じる力のバランスのみでコントロールされます。当然のことではありますが、これがしっかりと実感できれば、色々な発声のトラブルについて正しく考えることが出来るようになります。例えば軟口蓋を持 ... ]]>

軟口蓋を持ち上げる(このことは他でも書いていますので、理解されている方は次に進んでください)

 発声は声帯を引き伸ばす力と声帯を閉じる力のバランスのみでコントロールされます。当然のことではありますが、これがしっかりと実感できれば、色々な発声のトラブルについて正しく考えることが出来るようになります。例えば軟口蓋を持ち上げることについてはほとんどの声楽家が賛同することだと思いますが、このことが声帯を引き伸ばす事、または声帯を閉じる事にどのように関与するのかさえ分かれば、どうなれば軟口蓋を持ち上げたことになるのかが分かります。軟口蓋については軟口蓋を持ち上げると鼻腔が広がり、鼻腔共鳴が強くなるといった表現をされますが、論理的におかしいことに気付きます。まず軟口蓋はしっかりとした骨があるところです。これが容易に上下しては困ります。また仮に軟口蓋が持ち上がったとしたら、鼻腔に関しては床が上がってしまうことになりますので、鼻腔のスペースは狭くなります。さらに本当にスペースが広がると響きが増えるのかという問題もあります。小さな生き物もとても大きな声を出しますよね。それでも軟口蓋を引き上げようとしながら歌うと良い声になるのも事実です。つまり、軟口蓋を引き上げようとすることは、軟口蓋が引き上げられることでも、鼻腔のスペースを広げることでもなく、声帯にどのような影響を与えるかを考える必要があります。軟口蓋を引き上げようとしても大きな声にはなりません。声帯の閉鎖が強くなったわけではないということです。しかし響きが良くなります。これは声帯が引き伸ばされたときの特徴です。つまり、軟口蓋を持ち上げようとすることで、声帯が引き伸ばされれば良い練習が出来たことになり、持ち上げようと努力しても声帯が引き伸ばされなければ、効果は無いということになります。論理的に間違っていても効果がある練習は採用したら良いのではないかと思いますが、本当に軟口蓋が上がると信じて練習すると無駄に時間を取られてしまうことになります。

もっと喉を開けてと言われるイの母音

 軟口蓋について長々と書きましたが、すべての練習メニューについてどのように声帯に影響を与えるか考えていくと、それぞれの練習の目標や必要性、もしくはその練習メニューの欠点が見えてきます。これからは「イの母音」について考えてみます。「イ」の発音の時に、もっと喉を開けてと言われたことのある人は結構多いのではないでしょうか?「イ」の母音によって声帯がより強く閉じられることは容易に分かると思います。そして声帯が強く閉じられると、少なからず声帯を短くする方向に力が入りますので、「イ」の母音の時に引き伸ばす力が足りずに、もっと喉を開けてと注意されることになるのです。しかし、実際には正反対のことが起こります。

イの母音だからこそ喉が開くことがある

 発声において音域を広げることはとても重要な要素になります。この時最低音はあまり変わらず、最高音がどんどん上げられて、音域が広がっていくことになるのですが、その時に最初に限界以上の高い音が出始めるときの母音があります。「ウ」「ア」の母音が多いのですが、「イ」の母音であることも少なくはありません。さらに一瞬出た音を少し長く伸ばせるようになるときには「イ」の母音であることが多々あります。声帯が引き伸ばされる方向は前下と後上の方向です。前後で引っ張られそうですが、声帯は傾きながら引き伸ばされますので、前側は下向き、後ろ側は上向きに力が入ります。「イ」の母音の特徴である横に引っ張る力はここにはいっさい出てきません。しかし実際には横に口を引っ張る力が声帯を縦に引っ張る方向に関与することがあります。とても興味深いことです。「イ」の母音で、口が横に引っ張られるだけではなく、鎖骨の真ん中も横に広がるように力が入ると、鎖骨の間に沈み込むような力を感じます。これが限界を超えて声帯を引っ張っていくときに一番大切な力なのです。論理的に考えるだけでは横に引っ張る力が声帯筋の伸展を強化するなど想像できないのですが、実際にはとても有効な手段だったりすることもあります。少し難しい事ではありますが、現象としてあるものを論理で否定すべきではなく、すべてを受け入れてその後で論理的に考えることが大切なのではないかと日々考えています。

]]>
強い音を出すと音程が下がることと、強く出すことによって高い音が出せるようになることについて~発声のしくみ69https://liederabend.net/wp/%e5%bc%b7%e3%81%84%e9%9f%b3%e3%82%92%e5%87%ba%e3%81%99%e3%81%a8%e9%9f%b3%e7%a8%8b%e3%81%8c%e4%b8%8b%e3%81%8c%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a8%e3%80%81%e5%bc%b7%e3%81%8f%e5%87%ba%e3%81%99%e3%81%93/Wed, 31 Jul 2024 08:14:48 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11650

 大きな声を出すと音程が下がってしまうというのはよく経験することだと思います。これには理由があります。大きな声を出すと音程が下がってしまうのは普通のことなのです。大きな声を出すことによって音程感覚が鈍ったのではありません ... ]]>

大きな声を出すと音程が下がる

 大きな声を出すと音程が下がってしまうというのはよく経験することだと思います。これには理由があります。大きな声を出すと音程が下がってしまうのは普通のことなのです。大きな声を出すことによって音程感覚が鈍ったのではありません。もし大声が音程感覚を鈍らせるのであれば、音程が上がってしまうことと下がってしまうことが半々に起こらなければ変なのですが、ほとんどの場合低くなります。

大きな声でも音程が下がらないようにする方法

 大きな声を出すためには声帯が強く閉じられる必要があります。これは直接的には通常声帯と呼ばれている声帯靱帯のすぐ隣にある声帯筋が収縮することによって、起こる現象です。この時に声帯筋は収縮しますので、声帯自体も短くなる方向に力が入ります。ですので、そのまま声を出すと音程が下がるのが普通なのです。これを回避するためには、声帯が強く締まるのに対抗して、より力強く声帯が引き伸ばされなければならないのですが、これが足りないということです。これを回避するためには音程を上げるように頑張るのではなく、声帯の伸展運動をしっかりトレーニングして、自在に使えるようにすることと、声帯の閉鎖を喉に近い筋肉のみに頼るのではなく、横隔膜の中央の収縮によって、こ閉鎖運動を手伝ってくれるように出来ると良いのです。このようなケースで、お腹を使うことによって喉の力を抜かなければならないといわれたりしますが、間違っています。お腹を使うことで喉がしっかりと閉じなければならないので、お腹を使った分だけ声帯が閉じるようにつなげていく必要があります。確かにお腹で声帯を閉じることを補ってあげられれば、喉自体は少し楽に感じますので、力を抜くと表現されることも理解は出来ますが、実際にはより力が入るようにお腹が手伝っているわけですので、文字通り力を抜くと思って一生懸命練習した人はいつまでたっても上達しないということになってしまいます。真面目な人ほど損をするような発声の表現が多々あることを知っていた方が良いと思います。

大きな声を使って最高音を獲得する

 これとは逆に、最高音を獲得していくときに、強く出すことによって、いつもより高い音が出てくることもあります。先ほどの例と逆になり、混乱しやすいと思いますので、まとめて書いてみました。テノールが最高音を獲得するときに、2つの方法があります。1つはファルセットもしくはファルセットに近い音色で、あまり大きな声ではない楽に出せる高音を練習して、だんだんと声に厚みを持たせる方法です。一番論理的に正しいと思える方法です。しかしもう一つ全然逆の方法があり、フォルテでしっかりと音を出しながら、最高音に近づいていく方法です。比較的に喉が強く、特別なトレーニング無しにある程度高い音が出せる人にはこの方法の方がより速く最高音に達することがあります。

そのしくみ

 論理的に考えると、強い音は声帯を縮めてしまいますので、柔らかい音であまり声帯を閉めずに練習をしていき、十分に声帯の伸展筋が使えるようになったところで、閉鎖を強くしていく方が良いように思えますし、王道はこちらだと思います。しかし、逆にフォルテで練習を進めていった場合、通常であればある程度以上の高音は出ないので、音程が下がったり、そもそもでないということになります。フォルテで声帯の閉鎖が強いのですから、厚くなった声帯をそれ以上に引き伸ばされなければならず、難しいのです。ただ、逆境でも力強く育っていく子供のように、厚い声帯でもなんとか高い音程に届くように歌いたいという思いが、限界を超えて声帯を伸ばそうと働くようになります。そうすると声帯の伸展筋が、負荷をかけないときよりも、もっとしっかり働くことになります。結果、しっかりとした最高音が獲得できることになります。

論理的な発想を超えて

 声帯の閉鎖が強いと、伸展筋はよりしっかりと働かなければならず、難しいはずなので、あまり強く閉鎖をさせずに、伸展筋の練習をしてから、徐々に閉鎖を強くしていくといった、至極まっとうな考え方と逆に、声帯の閉鎖を強くしておいて、それに負けないように伸展筋を働かせて、高音を獲得するといった、論理的な発想からだと考えつかないような、乱暴な方法でも、効果的なこともあります。とても重要なことだと思います。

]]>
音程の練習~音楽について70https://liederabend.net/wp/pitch-training/Wed, 31 Jul 2024 07:09:29 +0000https://liederabend.net/wp/?p=10644

 音程に関してとても自信があるという人は少ないのではないでしょうか?レッスンでも音程がよく分からないとか、自信がないと打ち明けてくださることがあります。その時は、諦めずによく音を聞き続けていけば、誰でも音程は聞き取れるよ ... ]]>

音程に関してはなかなか自身をもてない

 音程に関してとても自信があるという人は少ないのではないでしょうか?レッスンでも音程がよく分からないとか、自信がないと打ち明けてくださることがあります。その時は、諦めずによく音を聞き続けていけば、誰でも音程は聞き取れるようになりますと答えています。今回は音程についての話です。

ソルフェージュについて

 音程の勉強といえばソルフェージュを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?音大の入試には大抵ソルフェージュの試験がありますし、入学後もソルフェージュの授業があります。様々なソルフェージュの勉強スタイルがありますが、基本的には新曲視唱と聴音です。新曲視唱はその場で渡された楽譜を歌うことで音にするもので、聴音は逆に演奏されたものを楽譜に書き取るものです。つまり、楽譜を音にする、そして音を楽譜にするためのものです。

 歌っていて音程に自信がないというのはこのことではなく、おそらく楽譜の音はもう取れているものの、きれいにハモっていないといったような細かな音程のことを指すのだと思います。ですので、この二つは関連はあるものの別のものだと考えた方が良いです。ソルフェージュの能力はとても高く、すぐに楽譜を音に出来るし、聞こえてきた音楽を楽譜にすることが出来るのに、実際に歌ってみるとあまり良い音程で歌えないこともありますし、全く楽譜が読めないにもかかわらず、とても良い音程で歌えることもあり得ます。音大を出た人はソルフェージュをやっていたから、とても音程が良いはずだというのは残念ながら当てはまりません。別物です。つまりソルフェージュ能力が弱いので、音程が上手く取れないということでもないということです。

専門的な教育

 合唱の練習中や個人レッスンの時に音程が少し低いとか高いとか指示を受けることは頻繁にあります。音大生もこれらの練習をするのはほとんど個人レッスンやオペラや合唱の実習、個人での練習の時です。ソルフェージュの時間に細かな音程の練習をすることはあまりありません。ソルフェージュは高度になってくると複雑なリズムや、調性が不安定な曲の練習になっていきますので、音大を出ているからといって、繊細な音程練習が出来ているわけではありません。逆に音大を出ていないから音程のことがよく分からないということではないということです。

音程にトラブルがあるときの2つのケース

 音程が良くないとき次の2つのケースが考えられます。1つは発声的に問題があって、音が不安定になり音程が定まらないケース。もう1つは発声はある程度安定しているのに、正しい音程で歌えないし、指摘されてもよく分からないケースです。最初のケースでは音程練習は後回しにした方が良いです。まずは発声練習が先です。例えば声帯の張力が足りずに音程が届かない場合、低いと言われてしまいます。これ自体は正しいのですが、音程を上げようとしてもなかなか上手くいかないものだし、一時的に音程を上げられても、すぐに戻ってしまう。または音質が良くないまま歌ってしまうことになります。発声練習が先です。

音程にのみ集中してみる

 2つめの発声的にはそれほど無理をしていないのに音程が良くないケースでは、専門的なトレーニングが出来ていないからとか、自分は細かい音程は分からない人なんだと思いがちですが、そうでもありません。単純に音程に集中して音を聞く機会が少なかったに過ぎません。本当に数週間音程に特化して音を聞き続けると、だんだんと分かっていきます。普通に音を聞くのではなく、音程にのみ集中して聞いていきます。練習するときには音程以外の課題もあるでしょうが、音程に集中できるときにはよく分からなくても音程を聞こうとします。CDを聞くときもしばらくは音程のみに集中します。テレビで音楽が流れてきたときにも音程に集中します。これらを実践することはなかなか難しいですが、しばらく続けていくとなんだか分からなかった音程がだんだん分かるようになっていきます。今まであまり音程を気にしていなかっただけなのです。ただ、音程に集中しようとしても、音色や表情にすぐに耳が持って行かれ、音程にのみ集中するのも難しいものです。ある程度の時間音程のみに集中できるようになったら、もう既にある程度音程に関しては分かるようになっています。

細かな音を聞き分ける能力

 集中していくだけで細かい音程が分かるほど人間の耳は高い能力を持っています。言語を聞き取る能力はとても優れていると思うのですが、誰もが普通のことだと感じています。PとTの違いは唇で息を止めて発音するか、舌先で止めるかの違いですが、この細かな違いを確実に聞き分けられます。特殊な能力とは誰も思わないですが、すごい能力だと思います。音程も必要があり、聞き続けていくとPとTの違いが分かるように聞き取れるようになります。諦めずに聞き続けることです。

]]>
お腹に力を入れる~呼吸法35https://liederabend.net/wp/%e3%81%8a%e8%85%b9%e3%81%ab%e5%8a%9b%e3%82%92%e5%85%a5%e3%82%8c%e3%82%8b%ef%bd%9e%e5%91%bc%e5%90%b8%e6%b3%9535/Sun, 21 Apr 2024 13:16:16 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11618

 私がレッスンで良くやるデモンストレーションの一つです。お腹にぐっと力を入れます。やや強めに叩いても痛くないくらいの力です。そして叩きながら生徒さんと会話をします。「今、結構お腹に力を入れていますが、、普通の時と声が全く ... ]]>

 私がレッスンで良くやるデモンストレーションの一つです。お腹にぐっと力を入れます。やや強めに叩いても痛くないくらいの力です。そして叩きながら生徒さんと会話をします。「今、結構お腹に力を入れていますが、、普通の時と声が全く変わりません。つまりこの力は、発声には全く関係の無い力です。」

 実際に試してみてください。腹筋に力を入れても声が影響を受けないことが分かります。そしてお腹から声を出してとか、お腹に力を入れてと言われたときに、真っ先に力を入れるところがこの声が変わらない力だということもよくあります。意味が無いだけでは無く、ある部分を硬直させると必要な呼吸筋の運動が妨げられたり、そうではなくても、体の一部に過度に力を入れてしまうと、他の部分にも力が入って硬直の連鎖が起こります。ですのでどんなにお腹に力を入れて歌いなさいと言われたとしても、声が変わらない部分の力を入れるべきでは無い事を知っている必要があります。

 ではどうお腹に力を入れていけば良いのかということですが、これは簡単です。声が影響を受けるような力の入れ方をすると良いのです。びっくりしたときやつまずいた時に声が出ることがあります。お腹の真ん中が集まるような感じで力が入り,声が出ます。これがお腹に力を入れるときに重要な使い方になります。まずはこのビクッとしたときのお腹の感じ、そしてその時の喉の感じ、さらにはその時の声の感じをつかんで、この3つがひとかたまりになるようなお腹の使い方を見つけていきます。

 このようなものですので、お腹を使って歌うことは決して難しい事ではありません。またとても強く力を入れなければならないわけでもありません。健康に生活できている人が普通に持っている筋肉で大抵のことは出来ます。ただし、大きなホールでオーケストラにも負けない声を出すためにはトレーニングも必要になります。

]]>
鼻声~発声の情報を見分ける7https://liederabend.net/wp/%e9%bc%bb%e5%a3%b0%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e6%83%85%e5%a0%b1%e3%82%92%e8%a6%8b%e5%88%86%e3%81%91%e3%82%8b7/Fri, 12 Apr 2024 08:34:36 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11620

 鼻腔共鳴と鼻声を同じように扱っている意見を聞いたので、少し面白いと思い記事にしました。この意見の結論は鼻腔共鳴で歌うべきではなく、口から歌うべきだという意見です。鼻腔共鳴を使うなといっているわけでなかなか斬新です。   ... ]]>

鼻腔共鳴と鼻声

 鼻腔共鳴と鼻声を同じように扱っている意見を聞いたので、少し面白いと思い記事にしました。この意見の結論は鼻腔共鳴で歌うべきではなく、口から歌うべきだという意見です。鼻腔共鳴を使うなといっているわけでなかなか斬新です。

鼻腔共鳴とは

 結論を先に書きますが、鼻腔共鳴は絶対にあります。特に大きな声を出すときにははっきりと共鳴はあって、声をより強くするのに大きな役割を果たしています。共鳴を起こそうとするしないにかかわらず、しゃべる時も、いびきをかいているときも共鳴はします。そしてこれは鼻から息を出すから起こる現象ではありません。音は空気の振動で伝わっていますので、強く遮断をしない限り鼻腔の空間に音は伝わり、反射を繰り返すうちに強く共鳴します。鼻が詰まっていても共鳴します。また鼻から息を出す必要が無いだけではなく、鼻から息を出しながら歌うのは、必要以上に息を出さないといけないので、声門の閉鎖が悪くなり、強さの無い抜けたような音になり、またややガサガサしたような音質の声になります。

2つの勘違い

 先ほどの意見に戻ります。通常鼻声は風邪をひいて鼻が詰まっているときの声を指します。鼻が詰まっていても声に大きな影響はないのですが、MとNの子音が発音できなくなりますので、違和感が強いです。とにかく鼻から全く息が出ない声です。しかし先ほどの鼻腔共鳴と鼻声を同じように扱う意見は逆で、鼻から息を出しながら歌うことを鼻声だと解釈していたようです。鼻声を鼻から息を出しながら声を出すことだという勘違い(実際は正反対です)、そしてさらに鼻腔共鳴は鼻から息が出ることにより起こる現象だという勘違いが重なっての意見です。そうするとこの違和感の強い意見は鼻から息を出しながら歌うものではないということになり、実は正しいことを言おうとしているということになります。

勘違いの理由

 色々と想像できます。例えば鼻腔共鳴が重要だということを聞く。それを鼻から息を出しながらの声だと解釈してしまう。実際に歌ってみるとどうも良くない。鼻腔共鳴を考えずに、普通に口から息が出る声で歌ってみる。こちらの方が良い声になる。結果鼻腔共鳴はさせない方が良いという結論に至る。といった事が考えられます。(想像です)しかし、結論は間違っていません。筋道はおかしいのですが、実際に自分で試して先入観無く判断したために正しいところに行き着いたということだと思います。ただし、これを他の人に伝えてしまうと、文字通り鼻腔共鳴をさせてはいけないと思ってしまうかもしれません。危険なことです。私自身もこのような思い込みの間違いをしていないかは常に考えながらレッスンを進めています。先生の言葉が間違っていることはとても有名な先生であっても起こりえます。先生の意見を大切にしつつ、自分で考えることが大切なのでしょうね。

]]>
良い声の条件~声の診断17https://liederabend.net/wp/%e8%89%af%e3%81%84%e5%a3%b0%e3%81%ae%e6%9d%a1%e4%bb%b6%ef%bd%9e%e5%a3%b0%e3%81%ae%e8%a8%ba%e6%96%ad17/Thu, 04 Apr 2024 14:15:27 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11551

 良い声の条件は色々考えられますが、いくつか挙げてみようと思います。  当然のことですが、声帯を閉じることが最も大切なことになります。声帯が閉じていなければ全く声は出ません。何らかの原因で声帯を閉じる筋肉やそれに関する神 ... ]]>

 良い声の条件は色々考えられますが、いくつか挙げてみようと思います。

声門閉鎖

 当然のことですが、声帯を閉じることが最も大切なことになります。声帯が閉じていなければ全く声は出ません。何らかの原因で声帯を閉じる筋肉やそれに関する神経を損傷すると声帯を閉じることが出来なくなることがあります。残念ながらそうすると発声をどんなに頑張っても声を出すことは出来ません。この声門閉鎖は2段階のしくみがあり、一つは声帯の後ろが閉じること。もう一つは声帯筋による閉鎖で、より強い声を作るときに必要な閉鎖です。長くなりますので、詳しいことはまた別の記事で書きます。ただ全く閉鎖が出来ないと声は出ませんので、必要な条件ではありますが、分からないものではありません。

広い音域

 喉を開けると言われているものですが、声帯を引き伸ばす力の調節が上手く機能すると通常1オクターブ半から2オクターブほどの音域の声が出るようになります。これよりも狭い場合は声帯の伸展機能に何か問題があることになります。先ほどの声門閉鎖は問題があると声になりませんので、歌に限らず大きな問題になります。一方声帯の伸展機能は歌の場合に決定的に必要なものになります。音域がある程度広くないと歌える曲が限られてしまいますし、この機能がコントロールできないと音程をキープすることが難しくなります。つまり歌として成立しなくなります。繊細に変化させられると一番良いのですが、まずは音域の広さが問題になります。

クレッシェンドとデクレッシェンド

 声が出ていることと、ある程度の音域があることが前の2つでした。次は音量を変化させられることです。音量の変化は表現のために出来た方が良いと思えますが、それだけでは無く、良い声の条件になります。声は声帯の伸展の具合と声帯の厚さの変化で様々な音程の、様々な音質の、また音量の声を作っていきます。クレッシェンドするためには声帯をだんだん厚くしていく必要がありますがそうすると音程が下がってしまいます。そこで声帯に張力を加えて音程は下がらず、厚くするという調整をしていきます。先ほどの2つと違い今度は2つの違う筋肉をバランス良く変化させなければならないことになります。とても大変なことです。デクレッシェンドでは声帯の厚さを徐々に薄くしていきますが、その時に声帯を引っ張っている力も同時になくなりやすくなります。そうなると音程が下がってしまったり、音が途切れてしまったりします。徐々に力を抜くのは力を入れるよりもずっと難しいものです。

それ以外のこと

 それ以外にも明るい声が良いとか、深い声が良いとか色々な基準が考えられますが、圧倒的にこの3つが大切です。ある程度楽にという条件は付きますが、この3つが網羅できている声は無条件に良い声ですので、他のことにあまり惑わされない方が良いです。先ほどの明るい声と深い声は対立する要素にもなるもので、そうなると明るくて深い声は存在しなくなります。ただ明るい声も深い声も定義があやふやですので、定義の仕方によっては明るくて深い声は存在します。少しややこしい話になりましたが、もう少しこの話を進めると、明るくて深い声があるような明るさや深さは良い声の条件になり得ますが、明るくなると深さが減ったり、深くすると明るさが無くなるような、明るさや深さの声は価値がありません。こだわらない方が良いです。このように明確ではないものはまずは考えない方が良く、単純にこの3つに集中した方が良いです。

確認

 最初の声門閉鎖が出来ないと声が出ませんが、そうでなくとも少し問題があれば、音の立ち上がりや音が消える前に音にならない息だけの状態ができます。この時には最初の声門閉鎖に問題があります。音域はわかりやすいと思います。楽に変化させられるというもの重要な要素です。3つめの音量の変化は難しい事が分かると思います。広い音域で無理なく安定した音質で音量を変化させられるかどうかを確認していきます。

]]>
横隔膜の練習について~呼吸法34https://liederabend.net/wp/%e6%a8%aa%e9%9a%94%e8%86%9c%e3%81%ae%e7%b7%b4%e7%bf%92%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%ef%bd%9e%e5%91%bc%e5%90%b8%e6%b3%9534/Fri, 29 Mar 2024 14:07:26 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11531

 声は声帯を引き伸ばす力の調節と、声帯の閉鎖の調節ですべて決まります。そして横隔膜は広がろうとする力と中心に向かって集まろうとする力が働きますが、横隔膜が広がることが声帯を引き伸ばすことにつながり、横隔膜の収縮が声帯の閉 ... ]]>

横隔膜の役割

 声は声帯を引き伸ばす力の調節と、声帯の閉鎖の調節ですべて決まります。そして横隔膜は広がろうとする力と中心に向かって集まろうとする力が働きますが、横隔膜が広がることが声帯を引き伸ばすことにつながり、横隔膜の収縮が声帯の閉鎖につながっています。ですので、横隔膜の練習がしっかり出来ればこれだけで声帯の変化に必要な要素をすべて網羅できるようになります。声楽の先生によっては喉の周辺を中心に指導される先生と、呼吸を中心に指導される先生がいらっしゃいますが、どちらも良い歌い手が生まれてきます。偏った練習になりそうなのに上手くいくのはこのようなことからです。

お腹が膨らむように息を吸うことが正しい呼吸法だという考え方をなくそう~呼吸法24

横隔膜の収縮

 今回は横隔膜の収縮についての話です。横隔膜の練習としてはこの収縮を指すことがほとんどです。そしてこの横隔膜はより力強く動く必要があり、鍛えていかなければならないように感じるのではないかと思います。確かにそのような側面もありますが、まず最初に考えるべきところはそこではありません。元気にレッスンにいらっしゃる方は横隔膜が弱すぎて使えないと感じることはほとんどありません。せっかくしっかりとした横隔膜があるのに使いこなせていないと感じることがほとんどです。強さよりも確実に横隔膜を使いこなすことがまず最初に重要なことになります。

横隔膜と喉のつながり

 横隔膜の収縮は声帯の閉鎖に関与しますので、横隔膜に力を入れたらその分声帯が閉じなければならないのですが、この連動を見つけることが最初の課題になります。これは新しく習得しなければならないことでは無く、日常生活で使っているものを自在に使えるように再発見する作業になります。つまずいたときとか、びっくりしたときとか、ガタガタ道を車で走っているときとか横隔膜が揺れると声帯が反応して声門閉鎖が起こり、声が出る事は誰もが体験したことがあると思います。これをいつでも使えるようにするのが最初の目標になります。そう難しい事ではありません。

喉声と横隔膜

 自然現象としては分かっても実際にコントロールしようとすると難しく感じる方も多いかもしれませんが、いつも使っていることですので、繰り返し練習していくと誰でも出来るようになります。ただしこの横隔膜と喉のつながりをあえて弱くしてしまおうとする事も時々起こってしまいます。声楽の経験のある人は喉声をとても嫌います。変な言葉ではありますが、よく使われているのも事実です。喉声は声帯が十分に引き伸ばされていない状態で、強く声帯が閉じた声を指します。この声と、ある程度声帯が引き伸ばされた中で強く声門が閉じられた声の識別がやや分かりにくいので、強く声帯が閉じることを避けようとすることがあります。そうすると横隔膜は声帯を閉じようと頑張っているのに、強く声帯を閉じてはいけないという思いがぶつかって、せっかく横隔膜に力を入れているのに、あまり声帯は閉じてくれないことになり、無駄にお腹に力を入れてしまうようになります。そうなるとお腹に力を入れて声帯が閉じるという反応が分からなくなりますので、お腹に力を入れることだけが残ってしまいます。当然声はあまり変わりませんので、さらにお腹に力を入れなくてはと考えてしまいます。

]]>
直観と論理1~音楽について71https://liederabend.net/wp/%e7%9b%b4%e8%a6%b3%e3%81%a8%e8%ab%96%e7%90%861%ef%bd%9e%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a671/Tue, 19 Mar 2024 15:03:50 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11517

 音取りがほぼ出来て、言葉もきれいに入れられるようになった後、さらに良い演奏を目指して頑張っていく事になりますが、なかなか難しいと思うこともあるのではないでしょうか。その時に直観と論理とどちらで進めたら良いかも迷うところ ... ]]>

直感と論理

 音取りがほぼ出来て、言葉もきれいに入れられるようになった後、さらに良い演奏を目指して頑張っていく事になりますが、なかなか難しいと思うこともあるのではないでしょうか。その時に直観と論理とどちらで進めたら良いかも迷うところだと思います。

直感

 例えばもう少し落ち着いた演奏にした方が良いと思ったとします。そこで少しテンポを遅くしてみたり、所々で間を取るようにしたり、少し小さめに演奏したり等試してみるかもしれません。これは直感的に感じたものをきっかけに音楽を作って行く方法です。

論理

 逆に先生からはその音は倚音だからもう少しアクセントを感じてとか、クレッシェンドなのだから少しアチェレランドさせた方が良いとか、論理的な指示が出てきたりします。

私の場合

 私はレッスンの時はほとんどの場合論理的な説明をします。そうなると論理的に演奏法を考えているように思えるでしょうが、実際は逆です。まずは直感的に考えます。ただ直感で感じたものは本当にこれで良いのだろうかとか不安に感じるものです。しかし、楽譜をよく読み取っていくと直感で感じた演奏がふさわしいという理由が色々見つかってきます。そうすると自信を持って演奏することが出来る事になりますし、それをレッスンで要求することも出来ます。論理的な理由付けできない直感はすぐに捨てられます。

無意識に論理性を含んだ直感に

 さらにだんだんとこの論理的な証明は必要なくなっていきます。直感のみで演奏法を見つけていくのですが、その理由を聞かれたら、すべて説明できるように既に論理的になっています。おそらく優れた演奏家はすべて同じような思考回路になっていると思います。例えば音楽のある部分をテンポの揺れの無い確実な安定感で演奏をして、次の部分はテンポの揺れと共にだんだんクレッシェンドをしていく必要があると直感で感じます。その転換点もこの音からというとても明確な一点で分けられます。その後はそれをより確実に演奏できるように練習を繰り返していきます。ここまで論理的な方向の思考は全くないように感じられますが、誰かがなぜそのように演奏したのですかと質問したら、とても明確に、前の部分は和声の変化がゆっくりで、ベースの音は同じ音が続いている。しかし次のシーンでは細かく和音が変化し、ベースも激しく動き出す、さらにメロディーの最高音も徐々に切り上げられているなど、明確な答えが返ってきます。しかし、この論理的な思考は質問が無ければ全く言葉にされなかったものです。直感が明確な理由に基づいていることに確実に自信があるのです。つまりこの時直感は既に論理的に説明できるものになって生まれているのです。

手順

1,直感的にどのように演奏したら良いかを探る。

2,それを試してみて良ければ採用し、良くなければ他の方法を考えてみる。

3,上手くいったらその理由を考えたりすることはしないが、上手くいかなかったら、いろんな手を使ってさらに考えていき、すべての箇所が迷いの無い演奏になるように仕上げていく。

4,通常はここで終わりですが、誰かから質問されたり、本当にそれで良いのか迷ってしまったり、レッスン等で誰かに教えなくてはならないときなどには、言葉にしていきます。

論理的な説明をする理由

 レッスンで論理的に説明をするのには理由があります。同じ曲でも演奏法はいくらでもあります。その時に理由も分からずに先生に言われたとおりに演奏していては、自分の気持ちとは違った演奏を強いられることにもなりますが、理由が分かると、自分とは違う音楽のイメージがあったとしても、先生の音楽を理解して受け入れることが出来るようになります。そしてさらには先生の音楽をしっかり理解して受け入れた後で、自分の発想を加えてさらに先生の音楽を超えた演奏の可能性も出てきます。ということですので、論理的に説明していますが、決して論理的に考えて出てきたものではありません順番は逆です。

高度なレッスン

 さらに進んだレッスンでは、生徒は既に素晴らしい発想で音楽を作り上げて持ってきます。先生はそれを聴いて生徒の発想のすべてを感じ取ります。その上でまだ未完成な部分、つじつまが合わなくなってしまった部分などをクリアできる方法を考え提案していきます。良い先生であればこの時に無理矢理自分が一番良いと思ったもののみを教え込もうとはしません。色々な可能性を既に先生は知っているので、今の生徒が持ってきた演奏に最適な手を加える方法を考えていきます。プロのレッスンのこのようなやりとりはとても面白いものです。

]]>
声を集める1~発声のしくみ68https://liederabend.net/wp/%e5%a3%b0%e3%82%92%e9%9b%86%e3%82%81%e3%82%8b1%ef%bd%9e%e7%99%ba%e5%a3%b0%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%8f%e3%81%bf68/Fri, 15 Mar 2024 09:42:30 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11507

 声を集めるとか音を集めると表現されることがあります。イメージはつきやすいと思います。しっかりとしたよく響く声になります。あたりの位置と似ていますが、あたりは必ずしも集める必要はありません。その位置に声を感じるということ ... ]]>

声を集めるとは

 声を集めるとか音を集めると表現されることがあります。イメージはつきやすいと思います。しっかりとしたよく響く声になります。あたりの位置と似ていますが、あたりは必ずしも集める必要はありません。その位置に声を感じるということです。それに対して、集めるというのはあたりの位置にあるだけではなく、より強くあたりの位置に音を感じることになります。

 ではこの時に発声器官はどうなっているかということですが、これは結構わかりやすいと思います。声帯がしっかりと閉じているということです。声帯が強く閉じられると無駄な息漏れがなくなり、力強い声になります。ですので声はより集まった方が良いということではなく、音楽の内容により、しっかり声を集めた方が良いときと、そうではないときがある、集めた方が良いとか集めない方が良いとかの価値観を含んだものではなく、どちらでも出来て必要に合わせて変化させられた方が良いということです。

フースラーのアンザッツ(あたり)の発声での実践~発声のしくみ59

どこに集めるのか

 発声練習では、息漏れが感じられたり、フォルテがでないときに声を集める練習が必要になります。実際の練習では鼻の付け根に声を集めてとか、に声を集めてとか言われることが多いです。に集めることもありますが、どうしても音程が下がってしまったり、ざらついた声になりやすいので、少なくとも基礎の発声練習では使われることはありません。また頭頂に音を感じるととても薄く声帯が引き伸ばされますので、ほとんどその状態で声を集めることは不可能になりますし、それでも集めようとすると、響きは額に感じられますので、最初から額に感じれば良いということになります。

集めることの問題点

 必要な練習ではありますが、問題もあります。発声練習のジレンマでもありますが、声帯をしっかり閉じようとすると喉が開きにくい。つまり声帯を引き伸ばす筋肉の働きが弱くなります。また声帯を引き伸ばす筋肉をしっかり働かせると、強く声を集めることがやりづらくなります。つまり声帯の閉鎖が弱くなります。ですので声を集める練習においてはある程度声帯を引き伸ばしながら、声門をできるだけしっかり閉じる練習が必要になります。

声を集めようとすると無理をした発声になりやすい

 レッスンの中で声を集める要求をしすぎると大抵無理をした発声になります。一時的によく響く声になっても持続できず、持続させようとすると喉が早く疲労したり、気持ちよく歌えなかったりします。どこかに無理が来て、方向転換せざるを得なくなります。自分で練習をしていて、音を集めようと頑張ると一時的に大きな声が出て良さそうだったのに、だんだん苦しくなってきた経験のある人は多いのではないでしょうか?さらにそれでも頑張っていけるくらい喉が強い人は、持続させることが出来、それほど苦しくは無くなりますが、堅さを伴う強い音しか出せなくなり、音量や音色の変化が難しくなったりもします。必要な練習で、簡単そうではありますが、少しやっかいな練習です。

解決策

 声を作る筋肉は色々あり、まずは声帯に近い筋肉(内筋)その外にある筋肉(外喉頭筋)さらに遠くにある筋肉(呼吸筋など)、が組み合わさって出来ていきます。当然声帯に近い筋肉が先に反応するのですが、声帯内筋が積極的に声門閉鎖を主導すると、どうしても声帯は引き伸ばされなくなりますので、横隔膜が主導するような練習が必要になります。横隔膜は主に声帯を閉じる働きをしますので、これが先導して声帯内筋を動かしていくように出来れば、無理をせず声門閉鎖を強くしていくことが出来ます。踏ん張るように横隔膜に力を入れると声が出て、息が止まる反応と同じです。理論的には分かりやすいですが、横隔膜に力を入れると声帯内筋にも過度に力が入り、やはり無理した声にもなりますので、練習はなかなか難しいです。このややこしい課題を実際のレッスンではどのように対処しているかについては、次回書こうと思います。

 

]]>
喉を開けることが空間を広げることだと勘違いしたときの問題点~発声の情報を見分ける6https://liederabend.net/wp/%e5%96%89%e3%82%92%e9%96%8b%e3%81%91%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e7%a9%ba%e9%96%93%e3%82%92%e5%ba%83%e3%81%92%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a0%e3%81%a8%e5%8b%98%e9%81%95%e3%81%84%e3%81%97/Fri, 01 Mar 2024 07:43:43 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11494

 発声のレッスンではお腹を使うことと喉を開けることがとても頻繁に指摘されます。その中で喉を開けることに関して、喉を開けると空間が広がり、共鳴が起こり、倍音が増えて、良く響く声になる。といわれることがあります。これは間違っ ... ]]>

喉を開ける

 発声のレッスンではお腹を使うことと喉を開けることがとても頻繁に指摘されます。その中で喉を開けることに関して、喉を開けると空間が広がり、共鳴が起こり、倍音が増えて、良く響く声になる。といわれることがあります。これは間違っているのですが、そうだと信じても良い発声になることもあり、また逆に発声が上手くいかないこともあります。理論的に間違っていても良い結果が出るのであればそれで良いのではないかと思いますが、これが逆に発声を崩してしまうことがありますので、その時には考える必要があります。

喉を開ける~発声の情報を見分ける3

共鳴と倍音

 喉を開けるということは声帯を引き伸ばすことだというのはあちこちで書いていますので、確認していただければと思います。決して空間を広げるのでは無く、声帯の状態です。共鳴は音が壁に当たったときに反射して起こる現象です。壁が音を反射することが必要で、完全に吸音する素材で壁を作ったら、どんなに大きな空間があっても全く共鳴は起こりません。空間があることは必要ですが、大きくすることはそれほど重要ではありません。また倍音は2倍、3倍、4倍・・・の周波数の音程の音が聞こえる現象ですので、倍音がとても強く出てしまうと音程が分からなくなります。

空間を広げようとして上手くいくケース

 空間を広げようとして発声が良くなるケースと逆に悪くなるケースがあります。それぞれで何が起こっているのか考えていきます。まず良くなるケース。空間を広げようとしても外から見えるわけでもないので、確実に広げられるものではありません。そうなると基準になるのは、空間の広がりでは無く、空間が広がった音だとして先生が出しくださる声になります。つまりここで順序が逆になっているのです。空間が広がったので、よく響く声になるはずですが、よく響く声が出たので、空間が広がったのでは無いかと考えるわけです。もちろんこれは勘違いなのですが、一番上手なレッスンの受け方になります。よく響く声を獲得した生徒はこれが空間を広げられた状態なのだと勘違いをすることになりますが、それでもこれを容易に再現することが出来て、そのうちに空間を広げようと考えなくてもきれいに伸ばされた声帯で歌えれば、何の問題も無いので、声楽の長い歴史はこの間違った理論のまま進んできましたし、とても素晴らしい名歌手がたくさん生まれてきました。

空間を広げようとして上手くいかないケース

 さてでは上手くいかないケースを考えてみます。ここでは先ほどの勘違いが起こりません。声がよく響けば良いのでは無く、なんとかして空間を広げようと頑張ったとします。先生の言葉をそのまま信じて何とかしようとします。ここで問題が起こります。空間をできるだけ広げようとすると、声帯は閉じにくくなります。空間を広げたいと一生懸命に頑張っているときに声帯だけしっかり閉じようとするのは感覚的に迷ってしまいます。声帯をしっかり閉じて、声帯より遠いどこかが広がるのは出来そうな気をしますが、声帯に近いどこだか分からない部分を広げながら声帯を閉じるということはほとんど不可能になります。それでも空間を広げる事が課題だとすると、声帯の閉鎖が悪い声になってしまいます。当然響きの悪いざらついた声になるのですが、さらにもっと空間を広げなければならないと思ったら、声のざらつきはもっとひどくなるし、効率の悪い声になりますので、無理して力を入れないとちゃんとした声になりません。どんどん変な発声になってしまいます。

まとめ

 この二つの違いは空間を広げることに固執せずに響きが良くなることに注目したのか、本当に空間を広げることにこだわったかの違いになります。真面目に先生の言葉通りに練習した結果間違ってしまう例です。音楽のレッスンではこの例に限らず文字通り言葉を考えると大きく間違ってしまうことが多々ありますので、変だと思ったら、言葉通りには捉えないことがとても大切になります。さらに本当に正しいのは何かをしっかり考えていくことも大切です。

]]>
ピアノのふた~声楽曲24https://liederabend.net/wp/%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e3%81%ae%e3%81%b5%e3%81%9f%ef%bd%9e%e5%a3%b0%e6%a5%bd%e6%9b%b224/Fri, 23 Feb 2024 12:38:23 +0000https://liederabend.net/wp/?p=11484

 通常グランドピアノのふたは2~3段階で開けることが出来ます。保管庫に収納している間や移動の時は完全に閉じて、ピアノのコンサートの時は全開にします。声楽のコンサートはオーケストラをバックにということもありますが、一番多い ... ]]>

グランドピアノのふた

 通常グランドピアノのふたは2~3段階で開けることが出来ます。保管庫に収納している間や移動の時は完全に閉じてピアノのコンサートの時は全開にします。声楽のコンサートはオーケストラをバックにということもありますが、一番多いのはピアノと歌のみの編成での演奏です。その時にふたを完全に閉じることはほぼありませんが、少しだけ開けることも全開にすることもあります。場合によっては5cmくらいの積み木を持ってきてほんの少しだけ開けることもあります。

どのくらい開けるのか

 以前はピアノのふたはほんの少ししか開けない方が主流でした。しかし最近はほぼすべてのコンサートで全開にされています。今回はこの変化について書いてみます。

 まずはピアノの音としてはどちらが良いかというと、当然全開の方が良い音になります。ふたを半開にしたピアノのコンサートはありませんが、もしあったとしても渋くて良い演奏だったとはならずに、何か物足りない演奏になると思います。ピアノのふたは堅い材質で出来ており、弦から生まれた音はピアノのふたで反射され、客席に届いていきますが、ふたをほんの少ししか開けないとそれが半減されてしまうことになります。

なぜ昔はふたをほんの少ししか開けなかったのか

 ピアノの音質が悪くなるにもかかわらず以前は少ししかふたを開けなかったのは、歌を目立たせるためです。歌が主役であり、ピアノはそれを陰から支える存在だとしたら、ピアノは良い音ではない方が都合が良い事になります。絵を描くときにメインのものはクリアに書きますが、背景は少しぼかして描かれたりすることと同じ効果です。背景がぼかされることにより、メインのものはより鮮やかに感じられるのです。伴奏をするピアニストにもこのことは要求されます。ピアニストはノーミスで安定して弾けるテクニックがあり、音楽を理解して多彩な表現が出来れば十分なはずですが、伴奏の時は小さい音で弾けることも大切になります。フォルテで弾くのも大変なテクニックですが、ピアノで弾くのも相当なテクニックです。とにかくこの小さな音、歌を邪魔しない音のためにふたはほんの少ししか開けないことが多かったようです。

最近のコンサートでは

 最近のコンサートでピアノのふたを少ししか開けない演奏会はほぼ見当たらなくなりました。この理由は二つあります。

一つは先ほどと正反対のことです。昔はピアノはメインである歌を目立たせるためにできるだけ控えめである必要があったので、ふたも数センチしか開けていませんでしたが、最近は歌とピアノは同じ割合で音楽を作っている。主従関係ではないという風に変わってきたからです。共同で一つの音楽を作り上げるということです。これとともにピアノ伴奏者の地位も上がってきました。これはとても重要なことです。

もう一つはピアノの音はふたを全開にした方が良い音になるということです。音そのものの良さもあるし、表情も多彩に変化させられます。ピアノソロのリサイタルでは必ずふたを全開にするのもこのためです。ピアノの一番左に弱音ペダルがあります。ピアノはすべての音に弦が3本ずつ張られていますが、左のペダルを踏むと鍵盤がスライドして、2本だけ叩くようになります。これがちょうどふたを少ししか開けないときに似た効果があります。ややぼやけた地味な響きになります。ただもちろん歌が聞こえないくらいピアノが強く出てきてしまっては困るので、ピアノ(弱音)で演奏できるテクニックはさらに必要になります。

発表会で

 余談ですが、20年くらい前でしょうか、発表会で二十数人の出演者が歌う演奏会の時、まだその頃は主流では無かったのですが、ピアノのふたを全開にして演奏をしていました。休憩時間に私は出演者や聴きに来てくださったお客様とギリギリまで話をしていて、次の部が始まる直前にまた客席について、次の演奏を聴いていたのですが、何か響きが違う。少しして気付いたのですが、ピアノのふたが閉じられていたのです。後で分かったのですが、お客様の一人がふたを閉じてしまったようです。その当時歌の演奏会でピアノのふたを全開にするのは少数派でした。ふたを閉じてしまった方は歌のコンサートでふたが全開になっている演奏を聴いたことが無いようで、私が歌の演奏会ではピアノのふたは閉じるものだということを知らないか、閉じ忘れだろうと思い、善意でふたを閉じてくださったようです。本来はこのようなときには主催者にひと声かけるべきなのですが、忙しそうにしていたので、ご自身の判断でされたようです。自分の常識を過信してはいけないという一例でした。

]]>